《私の本棚 第238》   平成28年9月号

     「こころ」 夏目漱石 作 

  1914年 自費出版 自作装丁 漱石没後100年

 この作品は高校生時代に一度読んだはずなのですが、当時よく分かったのかどうか、最後まできっちりと読んだのかどうか定かではありません。〈上〉 先生と私 ・ 〈中〉 両親と私 ・ 〈下〉 先生と遺書という構成で、朝日新聞連載当初は三部作で題名も 「心」 と漢字表記の予定であったらしいのです。書き始めてみるとその方向が変わってきて発表の形になったということのようです。名作かどうかというと私は特にそうは感じられません。善と悪についてをテーマにしていると思います。主たる登場人物は私・先生・Kの三人でしょうか。 読者の私は、この一冊は文学というより哲学書であると思っています。
 先生は両親の死後信頼仕切っていた叔父に裏切られます。完全な善人であると信じていた叔父は、先生に遺された財産に目がくらんでいつしか悪人になります。後年、一人の女性を巡って喧嘩はしないが、友人Kがその女性に思いを募らせていることを承知しながら抜け駆けをします。自分は絶対に悪人にはならない善人であると信じていたのに、その自分自身に裏切られます。
 私は父の死が間近に迫っていることを承知しながらも、先生の抜き差しならない手紙を読んで東京行きの列車に飛び乗ります。親の自慢の息子である事を承知しながら、その期待に応えること無く、死に目にも会わずに、既に自死した後であろう先生の許へ走ったのです。後二三日も自宅にいれば父の死に目に会えたのに、もう既に亡くなっていると推察できる先生の許へ。やはりある意味で悪人です。
 Kは寺の二男であったので、医者の家へ養子に出されます。その家から東京の先生が通う大学へ入れてもらいます。学費の心配は一切無く不自由は無いのですが、養親の意に反した学問をやります。Kには何ら悪意はなく寺で育った環境から医学とは異なる方向を向いているのですが、それを知った養親は縁組みを解消しそれまでの学費は実父が弁償します。やはり意図せずして悪人になってしまうのでした。
 Kは密かに恋する女性を先生に出し抜かれた事と、仏教的な考えに縛られるという苦渋から自死しました。先生・K・私は皆善い人なのです。しかし悪意が無ければ誰でも 善人=良い人 かというとそうでは無いということをテーマにしています。この作品に登場する善人=良い人=悪人は、私達全てに当てはまるとも言えます。
 感想文を書いている私の古くからの持論ですが、人は皆自分では気づかぬままに、生き仏にもなるし鬼にもなり得ることを知っておかねばなりません。昭和40年に発行された書を開いているのですが、その後書きにある 「主題が明確で、わかりやすいために、はじめて漱石を読む若い読者などが、強烈な感銘をこの作から受けることは事実らしい」 という一文があります。しかし遺書の内容は漱石らしさが溢れていますが、余りに長々としていて老いた私には尚のことその様な印象は残っておらず特に名作とは感じられません。

しかし、胃潰瘍で人生残り少ないと言われていた事からして、あれだけの遺書 (作品中) を書かなければならなかった気持ちを察すると凄いとおもいますし、余り悩まずに大人になった人には大いに触発啓蒙されることが多いと思います。いずれ「吾輩は猫である」をご紹介します。 
四国、大窪寺、八十八カ所、あんな本こんな本




  香川県

  大窪寺
 
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   (1)倫敦塔  (2)カーライル博物館  (3)幻影の盾  (4)琴のそら音    (5)一夜   (6)薤露行  

   (7)趣味の遺伝   (8)坊っちゃん   (9)吾輩は猫である  (10)草枕   (11)二百十日  

   (12)野分   (13)文学論   (14)虞美人草   (15)坑夫    (16)文鳥    (17)夢十夜  

   (18)三四郎    (19)永日小品   (20)それから   (21)満韓ところどころ   (22)門  

   (23)思い出すことなど   (24)彼岸過迄   (25)行人   (26)こころ   (27)私の個人主義  

   (28)硝子戸の中   (29)道草   (30)明暗