《私の本棚 第306》   令和3年10月3日号

      「二百十日」 夏目漱石 作

 明治39年(1906年)10月作。その前月には草枕を書いています。私は系統立てて読んでいませんから、この2作の違いを明瞭かつ即座に思い浮かべる事ができませんでしたが、考えて見るとこれほどにまで作風の異なるものを相次いで執筆するというのは驚きですね。
 全体がほぼ、圭さんと碌さんの対話で綴られています。圭さんは豆腐屋のせがれながら、世の中の理不尽な所を正していこうという意気が盛んです。他方、碌さんは別にそれほどに思わなくてもという風情。折しも台風到来の時期、圭さんは世の中のあらゆる成り立ちが気に入らず大きな変化をもたらしたい。碌さんは、圭さんがそう言うならそれでも良いよという幾分栁に風の振る舞い。そんな時期に噴火の兆しがある阿蘇山に登ろうとしています。自然に包み込まれてしまうのでは無く、荒々しい自然と人の生き様を対比させています。
 背景や雰囲気を包んで表現しようとせずに、題名と、見ようとしても見えない阿蘇の噴火口。その噴火口になぞらえる様にして世情の変化や自身の小説への挑戦。そして圭さんと碌さんのやり取りだけで読者に語りかけようとしている事がわかります。
 宿の温泉に浸かりながらコレラに言及する場面があります。注解によると、明治の代表的な経口感染症で、明治13年1月14日の「東京日日新聞」に「コレラ患者遂に16万8千 死亡10万を超え驚異的記録」と報じられていたことがわかります。明治年間、コレラによる死者は37万人余りで、日清・日露戦争の戦死者を上回る被害だったと書かれています。漱石の思いとは異なりますが、如何に屈強でも健康でも、ひねり潰すことができる蚊や蝿よりも比較にならないほど小さな病原菌に対しては、自力で打ち勝つ力は人間には無いということです。
 現在のコロナ禍に於いても、こうすれば絶対という対策は無いわけで、政府は試行錯誤を行いながら国民を守ろうとしています。何かの違反者に罰則を設けることは民主法治国家として安易には為せません。一方、その忸怩たる思いを声高に述べれば国民を恰も脅迫している様に受け取られかねません。
 小さな子供たちは勿論ですが、私のような高齢者に至るまで息苦しい日々を耐えなければなならない現状です。国の対策に対して一つ一つ揚げ足を取ることは簡単ですが、こうすれば満点という解が有るとは思えません。マスクに手洗いと嗽、三密を避けるといった個人としてできる事を実行するのが第一の肝要なのでしょう。私のカレンダーもあと数日で二百十日。過去の経験は役立たないような気象異変が続いています。2016年は漱石没後100年でした。更に100年後に生きる人達はどんな暮らしをしていて、現在の私たちをどんな風に想像するのでしょう

 
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 フリー素材(阿蘇の噴煙)
あんな本こんな本、あんな本サイクリング、漱石、二百十日、萩と秋空 





 思いがけず復活。
 しかも大木になった萩。
 秋の青空に満開です

 (2021.09.20)














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