《私の本棚 第298》   令和3年2月1日号

    「琴のそら音(漾虚集より)」     夏目漱石 作

 おもしろい。ああだこうだと考える必要は無い。様々な文体を試行錯誤しながら筆を執っている中で、よしっ!一つ笑える文章を書いてみよう、読者もきっとクスクス笑いながら一気に読んでくれるだろう。そんな漱石なりの一寸した遊び心が溢れている作品だと感じます。主人公とその友人の学士立場を自分と重ね合わせながら交換したり、子規をそっと引っ張り出したり、猫や坊っちゃんを薄書きしたり、軽妙落語を奏でたりと漱石の心の動きと共に楽しい作品です。
 二度読んでも題名の琴に直接結び付く物はありません。しかしふとそれこそがそら音であると気づきました。私は琴の音曲はただ一つしか知りません。宮城道雄作曲の春の海です。琴と尺八の合奏を改めて聴いてみました。記憶にある限りでは凡そ60年ぶりほどでしょうか。良いですね、春の海終日 (ひねもす) のたりのたりかな・・・。ゆらりゆらりと波の揺れる様。琴と尺八が見事に調和します。時折強い風が吹くのでしょうかテンポが速まると共にリズムが揺れます。物静かな音色が一転何やら騒がしく波打つしらべ、終わり近くなると又静かな波間が戻ってきます。琴というのは間違いなく古来の楽器です。漱石がこの作品を書いた時 (1905年) に春の海 (1929年作曲) という曲は存在しませんでした。主人公の靖雄はもうすぐ夫婦になる露子と暮らす家を借りて、お手伝いをしてくれる婆やと生活しています。その露子の親が世話してくれた婆やはやけに迷信深く、この家は方角が悪いから引っ越せと頻りに言います。そうしないと露子さんの命に関わる事が起こると言うのです。そのとりとめの無い言葉を、久しぶりに会った友人に話す辺りから、ゆったりした春の海がざわめき始めます。別れて帰宅しようとする深夜の道中で不思議なモノとすれ違い、帰宅後の未明には警官に起こされるわで、いよいよ風雨が強まります。早朝取るものも取りあえず、雨でぬかるんだ道をインフルエンザ (現在ならさしずめコロナ) で苦しむ許嫁の家に下駄履きで駆けつけましたが、家人からはどうかされましたか?と不審がられる始末。何とか適当に誤魔化して床屋へ寄り道をして帰宅すると、許嫁は今朝の靖雄のただならぬ様子を心配し、高級な人力車を横付けして待っていました。
 内容を書くのはこの辺りに留めますが、お察しのようにこの物語の背景に流れているのが琴のそら音なのです。靖雄の心の高ぶり・不安・妄念などと共に鼓動も早鐘を打ちます。様々な仕掛けもあって読みやすく面白く肩が凝らず、思わず靖雄さん大丈夫ですか?と声を掛けてあげたくなるような作品だと思います。
 私が内容をかなりバラすような感想を書くのは初めてだと思いますが、その理由を一言。定本漱石全集第二巻に添付された月報に、伊藤比呂美という詩人が、漱石に負けず意図的に面白く書こうとされた一文に何かしら引っかかるものがありました。それでと言う訳ではありませんが、研究者では無い一読者として、漱石はこんな風に考えて筆を運んだのでは無いかということを、私同様の一般読者の方々にお話したかったという次第です。
 
あんな本こんな本、琴のそら音、漱石、漾虚集 




 春の海
 ひねもすのたり
 のたりかな



 春ではありませんが
 2015.09.20
 瀬戸内秋景



 

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