《私の本棚 第248》   平成29年5月10日号

     「吾輩は猫である」  夏目漱石作

 「こころ」 に続いてこの作品をご紹介します。明治38年1月から翌年9月まで高浜虚子主宰の俳句誌「ホトトギス」に連載。当時の漱石はイギリス留学から帰国し、東大で英文科講師として教壇に立っていました。一方で、何かを書きたくて仕方ない状態であったとのことです。勧められて書いたものが思いの外好評で、続編に次ぐ続編となり結果的にこの形になったということです。
 そう知って全体を読むと、なるほどと頷けます。吾輩目線で筆を進めるかと思えば、時にはその吾輩を置き去りにしている。もう書きたいこと言いたいことを思うまま筆を運んでいると言えます。
 猫の目を通して主人を笑いものにしています。つまりは自分で自分を冷やかして一寸笑っているのです。吾輩は極めて優秀な猫であるために頭脳は中学三年生 (当時の制度で) に劣らないのだが、如何せん喉の構造だけは猫なので人間の言葉が喋れない。従って主人やその友人達の会話、家族の会話などは全部理解しているし、意見も持っているが伝える術が無い、と。
 三章には、首くくり力学の話が出てきます。なにやら読んだことがあるような気がして調べると、寺田寅彦と親交があってその関係から引用している様です。七章の浴場描写は文句なしに面白い。人間は裸で生まれて来ているのに普段は衣服を身につけている。吾輩は生まれつき毛皮に包まれて生きている。暑いときは脱ぎ捨てたくもなるが、ままならない。人間は態々衣服を身につける事で動物と一線を画しているのに、こともあろうか裸で湯につかり押し合いへし合いしながら熱いのを我慢している。全く見るに堪えない状況であると。この章は式亭三馬の浮世風呂が漱石の頭の中にあったのではと思います。
 第八章では、隣接する学校の生徒が行う野球のボールが頻繁に庭に飛んでくる。この生徒達とのやりとりは後の作品 「坊っちゃん」 を彷彿させます。もう心の中に溜まりにたまった言葉を吐き出しているようです。更に同じ章で、門口から声を掛けて生徒達がボールを拾いに来るくだりに後作 「草枕」 の冒頭を予感させるような文章があります。
 最終の十一章においては、漱石自身の胃病がかなり悪く、それほど長生き出来ない事を悟っているかのような文章です。しかし凄い文章だと感じます。
 吾輩は飲み残して置いてあったビールを少し舐めて、次第に飲み干します。足を取られて水瓶に落ちますが、爪の掛かる所が無く這い上がれない。死を悟って受け入れます。このくだりを少し引用してご紹介します。

  ・・・その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願いである。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れきっている。  - 略 - 「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免こうむるよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力にまかせて抵抗しないことにした。 - 略 - 吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏々々々々々々。有難い々々々。・・・

 この作品で心に溜まったものを存分に吐き出しました。英文学者でありかつ漢籍や古典等などにも博識であったことが伝わってきます。その後の日本の小説を方向付けた大文学者であることは否定のしようがありません。 
あんな本こんな本、吾輩は猫である




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