《私の本棚 第313》   令和4年3月07日 号

          「 趣味の遺伝 」  夏目漱石 作

          漾虚集 1906年(明治39年)1月作

  予備知識として、日露戦争は1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけての出来事でした。人間というものは愚かなもので、その後世界中で多くの戦争が行われ、今もまさにロシアはウクライナへ攻め入っています。しかもその愚かさの極みとでも言いますか、プーチン大統領は初っぱなにロシアは核保有国であると宣言まで行っていました。そんなことは言うに及ばず世界中の人間が皆知っています。それを敢えて口にするなどという恫喝の極み、正常性を疑うような発言をしました。過去の大戦争というのは何と言うことの無い小さな行動や一発の銃弾が引き金になったという事も、多くの心ある人達の記憶にある事柄です。専制であればあるほど退くにひけなくなります。どこで歯止めがかかるのか否か、世界中の心配事ですね。
 さてこの作品にもどりましょう。読み始めると、タイトルのイメージと余りにも異なるため、自分は一体どのような作品を読んでいるのか疑問がわきあがります。冒頭に日露戦争を述べましたが、起筆はその戦場の悲惨な状況を描き、続いて新橋での帰還兵を歓迎する大勢の人が群れる様子に続きます。群衆は勝利して戻った兵達に 「万  歳!」 と叫んで迎えます。因みに漱石自身は作中に、生まれてこの方 万歳は一度も叫んだことが無いと書いていますが、芥川龍之介に対して 「自分はまだ生涯に三度しか万歳を唱えたことはない」 と言っていたそうです。ひょっとしてこれは、大日本帝国憲法公布の時の民衆の歓迎風景を指しているのでしょうか?
 帰還した兵と出迎えた親族の様子を縷縷記述のあと、一寸ジャンプすればのぞき見できる程の塀の向こうで、戦争とは無関係のどうやらテニスをして遊ぶような楽しい声が聞こえます (帰還兵を迎える人達とのギャップも時代を問わず同じですね)。 主人公はジャンプをして確かめて見ます。そんなとき側を通る群衆の中に戦死した筈の友人浩さんに大変よく似た人を見かけました。その浩さんがどのように戦死したかの記憶を辿ります。その後、浩さんの母親に会いに行き、そこで浩さんのメモを見せられます。その中に名前を書いていない女性についてのぼんやりした事が記されていました。私は伝手を辿ってその女性を突き止めます。結局おっかさんとその女性は大変気が合ったという結末になります。
 読み終えてから何度も作品の記憶を呼び起こしました。漱石は何を書こうとしたのか試そうとしたのかと疑問が起こると同時に分からなくもなります。全体として、様々な作風を試していた時期と思いますので、そちらから解釈をしました。まず、戦争というのは趣味では無いけれど人類の歴史や未来の行動から消し去る事は不可能というのが一点。命を失った人と無事帰還した兵と出迎える人。その傍らでそのような出来事には関心が無くテニスを楽しむ人。そのように題名とは一見関係の無いところから筆を起こして戦死した浩さんがかつて気を惹かれた女性と、浩さんの母親が大変気が合った。つまり母親にとって気が合う女性 (ある意味で趣味が合う女性) に対して、母親の趣味が遺伝した浩さんも惹かれていたというところへ結びつけています。内容的に面白いという作品ではありませんが、時代の背景や恋愛が一般的で無かった頃の人間の動きも分かりますし、文学の世界を切り開こうとしていたことも伝わってきます。
 私の友人がそのまた友人から聞いたという話しを突然思い出しました。真偽の程は定かではありませんがご紹介しておきたいと思います。
 ----家庭を持つ夫婦がおり子供もいました。あるとき夫は妻の妹に惹かれて、あろうことか自宅と会社の間にア パートを借りて女をそこに住まわせ子供が生まれました。妻はそのアパートに乗り込んで二人を分かれさせると共に子供を引き取り育てました。その数年後、妻にも子供が誕生します。不思議な事にその実子が中学生になった頃、テレビを見ていて出演していた優しそうな女優をたいそう好いていたらしいのです。業というか因縁というか、その女優と妻の妹は良く似ていたという事です。これもある意味で趣味の遺伝というものでしょうね。----
でも、正直、読書も疲れますね。
 更に余談として、皆様もご承知のように 2024年に五千円札の肖像となる津田梅子は1864年生まれで漱石より三歳年上の女性。7歳からアメリカ留学をして1900年に女子英学塾 (後の津田塾大学) を設立しました。同じくこの年に、漱石は文部省から英国留学を命じられて赴きます。漱石の作品中には格別に津田梅子の影を見ることはないと思いますが (漱石全集を読み終えてはいない) 、当時の女性の置かれていた立場を考えると作品に登場する女性には妓楼に絡むような女性が居ないことなども、漱石を読む上での留意点なのかも知れません。
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 初詣(平安神宮)




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