《私の本棚 第312》   令和4年2月26日 号

          「 或る年の初夏に」  里見 弴(とん) 作

大正六年(1917年) 作者29歳の作。
 何かしら短編作品をと思い、本棚から読んだことが無さそうな一冊を手にとって繰ってみました。それがこの作品です。主人公で 「梟鼠」 と号で呼ばれる私と、友人佐竹の交友を描いています。冒頭から直ぐに、うんっ!?という感じで別作品の薄い記憶が浮かんで来ます。松江の掘り割り近くの風景です。二人はこれといった目的は無く只一箇月か二箇月をこの地で過ごしたいという思いがあって汽車でやってきました。時代が時代ですから相当な長旅であったと思われます。
 到着早々仮住まいさがしです。お互い閑な時は花札をしたりどうと言うこともない無駄話をしたり、宍道湖でボート遊びをしたり、時には別行動で遊郭へ行ったりの日々です。当時の賃借り家ですから建て付けも悪かったりで、蜈蚣 (ムカデ) や守宮 (ヤモリ) もよく部屋の中に入ってきますから、最初は驚きますがそのうち慣れて面白半分で退治をします。 (このシーンなんかも何か記憶に引っかかります) 私が佐竹のところで泊まると、彼は洗面用の金盥 (かなだらい) を鍋代わりにして煮物をしてくれることもありました。 (このシーンもエエーッ!矢っ張り何だか記憶が…)私は姉を看病するために東京へ帰ることになります。お互いに偶には口げんかをすることくらいはあったものの、いざ離れるとなると寂しさが込み上げてきます。二人は言葉で表現することはありませんでしたが互いにその寂しい気持ちを何気ない行動で表現しています。
 この作品を読んでいるなかで何度か引っかかりがありましたので、記憶を辿って志賀直哉の 「濠端の住まい」 を引っ張り出しました。やはりそうでした。第一分冊の読書感想79号に短い感想文を書いていました。そこで巻末の解説や年譜を読むと二人は交友があったことが判りました。私はどちらかと言えば濠端の住まいのほうが馴染めますが、それにしても内容がよく似ています。この作品は大正6年29歳の作ですが、志賀直哉の方は大正13年41歳の作です。年齢は12歳離れていますが友として付き合いがあったようです。しかしそれにしても、二人が当時一緒に作品の様な行動をしたとしても、後年に題材や内容がよく似た作品を発表するというのはどう解釈すれば良いのでしょうか?それほど気心の通った仲の良さを表現しているのか。 どうも私にはよくわかりません。
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宍道湖で釣りをする少年と
左奥の嫁ケ島





 2003.09.21
 出雲へのサイクリング


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