《私の本棚 第160》 平成22年6月号
業苦は作者のデビュー作 明治三十年、山口県生まれ。 主人公の圭一郎は駆け落ち相手の千登世と間借り生活を送っている。勤め先の酒新聞社へは郷里の山口県に住む妹の春子から、父親も年を取り弱って来ているから帰って来るようにと妻子の近況を交えながら書き送ってきます。ここから話は自分がこうしている理由を明らかにしていきます。 圭一郎は見合いをし、半ば自分から親に願うような形で結婚したのですが、妻の咲子は自分が初めての男性では無かったのではないかという疑念が日増しにつのります。敏雄という可愛い男の子も授かりますが、それよりも、やはりそうであったという落胆のほうが大きく、ふとしたことで知り合った千登世と深い仲になって東京へ出奔します。そこでの生活は経済的に苦しいもので、千登世も痩せてやつれてくるのですが、何のこれしきのことは苦労ではありませんとけなげに振る舞います。 妻への申し訳ないという気持ちはあまり無いのですが、敏雄への不憫、年老いた父親への思い、更には愛人である千登世に対する強い罪悪感にさいなまれる日々を過ごしています。中途半端な形のままでどうすることもできない憐憫の情が自分を責め苛みます。 自分には経験の無い状況ですが、その時の気持ちの赴くままに行動したものの、何とも表現のしようのない苦しみの日々はよく理解できます。何より驚いたのはこの話は作者の実体験で、「ちとせ」 は実名であったことです。ちとせを千登世として実名で登場させたことが、何事も要領の悪い男の、精一杯の心中吐露であり、ちとせへの詫びであったのかもしれません。 続編に「崖の下」があります。いずれご紹介します。 |
京都府 美山町 茅葺きの里 |
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