《私の本棚 第327》   令和5年7月17日 号

          「 三四郎 」   夏目漱石 作

  明示41年9月 「東京朝日」 に連載開始された作品で、同じく連載されていた藤村の 「春」 の後を受けた作品になります。
 熊本から新橋へ向かう時の列車内の様子から始まります。列車内の位置関係から、同乗者の顔を見る主人公三四郎の位置関係が良くわかりません。当時の座席はどんなものだったか調べましたがやはりスッキリとはしませんでした。その頃は列車の窓からゴミを捨てるのは一般的な行動だったようです。そう言えば私も子供の頃そんな行為を見たようなぼんやりとした記憶があります。三四郎は直ぐ近くに座っていた女性と何と言うことも無い会話をします。列車が名古屋止まりのため降りると女性もついてきます。成り行き上一緒に宿を探しますが、これも又自分の意思とは無関係に相部屋になりました。三四郎が風呂に入っているとこの女も入って来ます。驚いて出ますが当然のこと落ち着きません。宿の下女は何の思案もなく一つの布団を蚊帳の中に敷いてでていきました。三四郎は敷布を長く丸めて敷き布団の真ん中に置き、自分にはやましい気の無い事を表現します。明くる日、列車待ちをしているとき女性は 「あなたは余っ程度胸のない方ですね」 とにやりと笑って去って行きました。
 この辺りからまた別の同乗者とのふれ合いに展開しますが、先の女性とのふれ合いは小説全体のベースになっています。東京へ着いた三四郎は学生生活を送ります。図書館に在る書物の全てに書込や (本当はダメですよね) 借りた人の名前があることに驚きます。読者の私も注解を読んで驚くと共に漱石の博学を再認識しました。そうして生活をしていると学友や恩師・教師、またその人達の周囲に居る女性とも面識ができます。その中に美禰子というそれとなく気に掛かる女性との接点ができました。しかし、今時のZ世代青年達とは違い、自分の気持ちをうまく表現できません。とは言え団塊世代の私も大差はありませんでしたが。気に掛かるばかりで距離を縮めることができません。美禰子も時代背景から当然自分からより近づこうとはしません。それどころか 「迷子の英訳を知って入らしって」 と謎を掛けてきます。三四郎は突然に何の質問なのかと黙していると、 「ストレイシープ(迷える子)・・・・解って?」 と口にしました。今風に言えば 「貴方は辛気くさいわねえ」 というところでしょうか。漱石の試行錯誤・心迷える文筆活動と重なるように思えます。
 美禰子は画家に頼まれて自分をモデルにした画を描いて貰っています。展示発表会の折一緒に来た友人の与次郎が三四郎の傍へ来て 「どうだ森の女は」 と問います。題が悪いと答える三四郎は、口の中でストレイシープ(迷える子)を繰り返します。自分の思いをうまく表現できなかった歯がゆさと美禰子に対する未練心でしょうか。
 小説の中では画家が美禰子を描いて居る場所に同席した時の表現があります。美禰子は胸の辺りに団扇を持っていました。このシーンを読んでいて、私は黒田清輝の「湖畔」を思い出しました。しっかりして凄く清楚な女性の絵です。それで調べて見ると、黒田は1866~1924 湖畔は1897年 (明治30年) 作ですから、漱石がこの画を思い浮かべていたような気がします。
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