《私の本棚 第362 》 令和 8年5月2日号

 「 夢 想 」  エミール・ゾラ 作

 翻訳者 (小田光雄) のあとがきには、----略---- 『夢想』 はこれまで 『夢』 として邦訳されてきたが、ルーゴン=マッカール一族の妄想、欲望を投影した 「夢」 であると解釈し、『夢想』 というタイトルを採用しました----略----と書かれています。
 実は、第3章辺りまで読み進めてから、余りにも理解しづらいのでこの後書きを読んだのですが、それでも矢張りすんなりとは進めませんでした。更に終章に近づくにつれて気づいたのですが、この作品を何気なく読むのには 「黄金伝説 (聖人伝)」 を読んだり聞いたりし、何となくでも心の中にあるような人 (キリスト教徒) でないと難しいと感じました。
 私はゾラの作品を読んだのは 「居酒屋」 が最初でした。その他の作品もいくつかは何となく順を気にせずに読みました。その後ルーゴン=マッカール叢書を全部読んでみようと思い、書店で購入、ネット上でも古書を探しました。しかし、無いものや折角手に入ったものの発行が古すぎて読めない漢字が多用されているものがあります。
 今となっては改めて順序良く読み直す事はできませんが、若い人達が読まれる場合は、ゾラの発表順に読まれることを強くお勧めします。
 主人公の9歳薄幸少女アンジェリックは、厳しい冬の雪が降る中、聖アニエス門扉に佇んで居るところを、刺繍職人のユベール夫妻に助けられました。
彼女は売春婦が母親でしたから出生後投げ捨てられます。自分を証明する物は行政発行の薄い手帳しかありません。そんな少女を様々な煩悶を抱えながらユベール夫妻は育てます。少し大きくなったアンジェリックは育ての親が仕事にしている刺繍を教わりますが瞬く間に上達。教会の飾りや司教の帽子に刺繍を施しました。それと時期が重なって司教の息子フェリシアンに恋慕の情を抱くようになりました。フェリシアンも同じなのですが、互いにその心を秘めて近づきます。
 最後は司教も認めて地域住民総出で結婚式をするのですが、式が終わるやいなやアンジェリックは天に召されます。アンジェリックは幻の如く生を受け、夢虚ろのような生活の中で生と死の世界を行き来するが如くの人生を過ごしました。そしてその最後は大いなる幸せに包まれながら天に召されます。
 もう
少し別な解釈を私がすると、 ---地獄と幸せな現世と神の世界を、夢まぼろしのように次元を越えて生きたと感じます。だからこそ 「夢」 であり 「夢想」 なのでしょう ---。
 読み残すのは 「壊滅」 と 「パスカル博士」 ですが、もう読む事は出来ないのではないかと思います。漱石作品の難しさとは異なり、最後の
別な解釈は 『一月下旬に布団の中で夢を見て気づいた』 のですから。  
 
あんな本こんな本読書感想、夢想、エミール・ゾラ

 「夢想」は1888年作のフランス文学です


この書籍カバーについて、作品との関連性について4/21に論創社様にお尋ねしましたが回答はありませんでした。
しかし余りにも作品にマッチした写真だと思います。

 今朝(5月4日)、回答のFAXを頂戴しました。
小田光雄氏は他界し、装丁家とも連絡がとれませんので希望に応えられません。高評を楽しみにしております。』
        論創社 森下様より


この作品をお読みになれば納得戴けると思います。

あんな本こんな本読書感想、嵐が丘、エミリーブロンテの旧居



 エミリーブロンテの旧居
(写真ご提供は 相馬市 Keiko Kondo 様)


 「嵐が丘」 は1847年作のイギリス文学です。


私は読んだことは無いのですが、短評に目を通すと、物語展開が荒々しく非道徳的な内容であるとして当初は不評だったようです。しかし後々、巧みに書かれていると評価されたとの事です。

「夢想」 と極端な違いは無く、視点・着想・表現の異なりが大きいのでしょうか。


 


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