《私の本棚 第172》 平成23年7月号
Emile Zola 仏 1840年生まれ ルーゴン=マッカール叢書の第五巻 1875年作 三部で構成されていますが、それぞれに表題はありません。しかし解説によれば一部は 「聖職」、二部は 「あやまち」、三部は 「贖罪」 ということになります。 聖母マリアとムーレの対話はこれでもかと言わんばかりに続きます。何とか現世を離れて神の世界に近づきたいと願うが解脱しきれない神父。時を忘れて祈る、信仰心という悦楽の日々。ついに熱病に冒され記憶も失います。目覚めたのは楽園パラドゥーに住む少女アルビーヌのベッド。献身的な介護により回復しますが、パラドゥーの自然の中で神ではない人間の悦楽に呼び覚まされます。草木自然の描写が見事です。 悔悟して神に詫びながらも、時にはアルビーヌの事を思い出し揺れ動きます。しかし、自殺したアルビーヌ (事実上の妻) とお腹の子供の埋葬を淡々と執り行う事によって、再びしかし確実に神の領域に近づいていきます。 一部の書き出しは小さなレザルトー村に赴任したムーレ神父 (セルジュ・ムーレ) とマリアの対話が延々と続きます。 二部はパラドゥーと呼ばれる広大な屋敷跡の人手が入らない自然の中で暮らす少女アルビーヌとの日々。 三部は悔悟してキリストの下部として過ごすセルジュを描いています。セルジュにアルビーヌがパラドゥーへ戻って来るように誘いますがセルジュ (黒衣の神父) は拒否。アルビーヌ (ラテン語の白) はパラドゥーの花々を部屋中に埋め尽くし自殺します。セルジュは自分の子を孕んだアルビーヌを平然と埋葬します。その最後は、アルビーヌとセルジュ (ムーレ神父) の仲を割いたアルシャンジャ牧師の耳をアルビーヌのお爺さんが切り落とします。この描写はゴッホに影響を与えたであろうと言われています。 パラドゥーのモデルはシャトー・ノワールであるとも言われています。このシャトー・ノワールはセザンヌによってしばしば描かれており、ゾラは彼が1867年に描いた 「略奪」 という絵を所有していました。これを知って二部を読むと、パラドゥーの木や草花の丹念な描写が絵画を見るようにも感じられます。セザンヌの略奪はムーレ神父のあやまちそのものであり、同時に人間の世界・この世を表現しています。 |
谷川岳ロープウエイ |
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