《私の本棚 第317》 令和4年6月25日 号
「 制 作 」 エミール・ゾラ 作
翻訳・解説者 清水正和
ルーゴン・マッカール叢書の第14巻にあたります。しかし、読んでいてもその雰囲気からは叢書に含まれているとは解しがたく、何かの間違いではないかという思いが拭えないまま読み進めました。これまでには全20巻のうち13巻を読み終えていましたが、趣が全く異なります。叢書の全容をサイトで確認もしますがやはり含まれています。上巻を中程まで進めるとその事はひとまず置いて、挿絵に注意を向けると共に作中の絵画に関する会話に想像を巡らせました。 【岩波文庫上巻】 表紙を開けるとエドアール・マネ作 「青年ゾラの肖像」 1868年作があります。ゾラは机に向かって椅子に腰を掛け、手には大きな挿絵の本或いは画集を持ち、やや此方に顔を向けています。背景左には日本の掛け軸、中央には相撲取りの浮世絵、その右下にはマネのオランピア、右上は不詳 (ドガでしょうか?) が描かれれています。うーん、するとマネとゾラは親交があったのかな?位は感じます。ウィキペディアによると、関取は大鳴門灘右衛門で書いたのは歌川国明との説明がありました。カバーカットにはセザンヌの 「男たちの水浴」 (部分、1890年)が用いられています。 【上下二巻】 を読み終えてもこのカットの理由は分かりません。 第5章ではサロンに出品したものの落選した作品をお披露目する 「落選展」 についての記述があります。その中にクロード (マネ) の 「草上の昼食」 と題する作品を滅茶苦茶にあざ笑う群衆を描いています。私はこの時点では草上の昼食の事とは思わず、上巻カットカバーの 『男たちの水浴』かと思っていました。つまりその部分カットには水面から顏だけを出す人間が描かれていましたから、群衆の嘲り言葉と一致していました。 第6章の終わりに近づいた頃この 「制作」 が何故、叢書に含まれているのかが判りました。サンドーズ (恐らくゾラ) がクロード (セザンヌやマネ)に対して自分の決意を述べるくだりがあります。その中で詳細明瞭にルーゴン・マッカール叢書を書くという表現をしています。15巻か20巻のシリーズと言っていますから、 『制作』 の後に1巻を書いて終わるかさもなくば、その後更に5巻を発表するという決意を表したものと思われます。この 『制作』 を発表するまでに13巻を出している訳ですから、ある意味では大いに自著の宣伝にもなったでしょうね。事実、余り売れていなかった過去の作品も含めて大ヒットしたようです。従ってその思惑からも敢えて叢書に含めていたのでしょう。 ゾラは若き日々マネやセザンヌ等と親しい交友がありました。しかし芸術の世界はその時々の流行があります。従って当時の新進気鋭の画家に陽が当たることは中々難しい時代だったようです。 (現在も同じなのかも知れませんが) セザンヌが生涯でサロンに入選したのは1882年 (ゾラが 「制作」 を執筆する三年前の一回のみ) でした。それも審査員になった仲間の特別の計らいだったようです。それに対する屈辱感は相当なものだったでしょう。解説に依るとゾラは 『制作』 を発表をしたとき、親愛な友人、モネとセザンヌにその書物を贈りました (マネは既に故人) 。しかしそれに対する礼状 (不満)は次のように残されています。 モネは 「正直言って私は困惑し不安になっています。あなたは登場人物を私たちのだれにも似ないように気を遣っておられるが、仇敵たちが新聞や公衆の間で、マネや私たちの名を失敗者として言いふらすのじゃないかと心配しています。」 (1886・4・5) また一方セザンヌは 「親愛なるエミール。きみの送ってくれた 『制作』 を受け取った。この思いでのよき証に対し、ぼくは 『ルゴン=マッカール』 の著者に感謝すると共に、往時を偲んで握手を送りたい。流れ去った日々の熱い想いをこめて。敬具。 (1886・4・4)という手紙を寄越しましたが、セザンヌとはその後絶交状態になります。当然でしょうね、当時のモネの心境を架空名といえども詳細に表現したり、生涯で只一度の入選を暴露話として縷縷記述して在るのですから。しかしゾラも第9章で、心中表現というか親友達に対する気遣いや自分の気苦労の多い現状を作品中に述べてはいます。何とか親友達とお互いの苦労を糧にして世に出て行きたい、君たちも認められて欲しいという心情でしょうか。ある意味では自己満足としか言えないでしょうね。 この作品の翻訳者である清水氏の解説を読んでいると、知識不足の私でも作品の背景にある当時の事がよく分かってきます。美術史の先生にでもお尋ねしないと分からない背景ですね。更に、此の作品の最後の一言 「さあ、仕事にもどりましょう」 という言葉を、ゾラの自身への叱咤であると共に、セザンヌへの激励のメッセージと捉えておられる事に対して、膨大な知識に裏付けられた解釈として受け止めました。いずれにしても、これほど事実をベースにして同時代の読者であれば簡単に人物特定ができ、しかも登場人物が自分と親友たちという長編の作品を読んだ記憶はありません。無理に似たものがあるとするならば 「火花」 でしょうか。あの作品は読んでいて※※さんは同じ芸人仲間の誰それさんの事だなと私でも想像できますからね。 しかし私はやはり、作中に色々な気遣いを示したとしても、大いなる困難のさなかにある友人達の事を、読者にそれと分かるような暴露的表現をすべきでは無いと思います。 一点、余談を書かせて下さい。 この読書感想文を書きかけているとき、購読している岩波書店の 「図書」 2022年2月号が届きました。その時には読んでいても気づかなかったのですが、第1頁の 【読む人・書く人・作る人】 に平松麻氏の一文にハッとさせられました。この方は 「制作」 登場人物のクロードと同じ感覚を持った人ではないか?。何度か読み直しましたがその思いは益々強まるばかりです。クロードが魅せられて止まなかったセーヌ川・サンペール川・シテ島の風景と重なります。ウーン?妙な事があるもんだ、平松氏は何をしている人なんだろう?。じっくりと読み直していると最後に 「画家」 とありました。そうか!この人も画家なんだ、と。感想文最後の数行を残してネット検索をすると、クロードと同じような行動をされていました。とは言え、完全にクロードと重なる訳では無いであろうことを敢えて附言しておきます。 芸術家 (http://asahiramatsu.blogspot.com/) という方たちは似たような感覚と行動をお持ちなんだなあと、あらためて感じた次第です。 |
上下二巻の 表紙PDF |