《私の本棚 第274》   平成30年11月4日号

    「充たされざる者」 カズオ・イシグロ 作

   1995年の長編第四作目となる作品です。
 世界的に高名なピアニストのわたしは、とある市の招きにより訪れた町で時空の歪んだ世界に迷い込む。誰も出迎えのないホテル、全く知らないはずの他人から旧知のような言葉を掛けられる。十秒程度のエレベーター乗車が長い時間に引き延ばされたり、直ぐそこの家に到着するのに延々と細長い路地を通ったり、荒野を相当な時間車で移動した先は出発した建物の裏手だったり。初めて言葉を交わした男の子が自分の子供?ということはその子の母親はわたしの妻?・・・。
 激しく変わる環境。それはとりもなおさず異次元の世界。しかもいまのわたしライダーと平行した時空世界や過去・未来の時空世界をトンネルや見えない壁を抜けてさまよいます。いつも直ぐそこですからと案内されますが、広大な平原を何処へとも分からぬままブラックホールを歩いてでもいるかのような移動。会う人達は皆わたしを持ち上げてくれるかのような短い言葉を発するが、かといってそのような歓迎ムードを感じない。誰も彼もが自分の事ばかり独り言のように話したり、親しい間柄のように頼み事をしてきます。この町に着いてから格別なねぎらいも気遣いも無いまま今日という一日がいつ終わるのかさえ分からず、わたし自身も次第に混乱をしてきます。人々の話す内容は過去の事なのか現在進行中の事なのか、わたしは夢を見ているのかそれとも現実なのか?。生の世界か死後の世界なのか。最後には路面電車の中に存在する (夢かうつつか?) ビュッフェで朝食を皿に取って席へ戻ろうと歩きだしました。恐らくまたしても歪んだ次元空間をさまよい続けるのでしょう。
 このような小説がよく描けたものだと感じます。作家本人はブラックコメディーとして書いたと言っているらしいのですが、その点、本当によく書けています。わたしライダーは見知らぬ町で見知らぬ人達---相手はわたしの事をよく承知---の頼み事に誠心誠意応えようとしますが、なぜかいつもすれ違いで感謝をされることもありません。これはもう気の毒などというものを通り越しています。何かしらイシグロの根底にある日本人の血とイギリス人としての感性から来る不思議さ (とはいっても私には理解できませんが) を表現している様にも感じます。
飛騨鍾乳洞、あんな本こんな本、あんな本サイクリング、カズオイシグロ、充たされざる者






 飛騨鍾乳洞 
 
 前の頁、長干行  次の頁、冬の宿  VolV.目次へ  VolV.トップ頁 

 Vol.U トップ頁 Vol.T トップ頁



 (1)遠い山なみの光   (2)浮世の画家   (3)日の名残   (4) 充たされざる者  (5) わたしたちが孤児だった頃   

 (6) わたしを離さないで    (7)夜想曲集     (8)忘れられた巨人    (9)クララとお日様