《私の本棚 第305》 令和3年9月16日号
ノーベル文学賞受賞後の第一作。早川書房発行の書籍は、年齢的に書店の飾り棚から手に取るのが少し気恥ずしいようなカバー装でした。しかし読み終えればなるほどという内容と共に、装丁は愛着を感じました。 発行されて間も無い3月中旬に購入。読み終えたのは4月下旬。7月に二度目を読みかけましたが数十頁で中休み、送り盆を終えた今日読了しました。一読目はクララの混乱時の視覚と同じで、多くのブロックの中に様々な景色があり、それが一度に浮かんで来るような感じを受けました。作者は読者である私にクララがどんな風に映るように描いているのかわかりませんでした。 クララは人工知能(Ai)人形です。しかも第3世代よりは嗅覚が無いなど能力的に劣ります。多くの人達は同じ購入するのならと第2世代のクララより新しいものを選択します。しかしショーウインドウに飾られている時から、店長さんの言いつけ注意を良く守り、訪れる人間や他のAiを深く観察します。欲しがる世代の少女ジョジーの友達として購入されました。ジョジー本人の思いと母親の密かな思いは当初から深く異なるものでしたが、クララは人間以上に人の心を良く観察し期待に応えようとするAiでした。病気がちのジョジーが何とか健康になるように懸命に努力します。ジョジーと母親とお手伝いさん、ジョジーと将来の夢を語り合うお隣の少年リックと母親、更に双方家庭の難しい父親関係を背景にクララは懸命にジョジーの性格や行動を学びとって行きます。 ジョジーとリックが共に成長し大学生と社会人になって別々の世界へ巣立って行きます。リックはクララに対して 「ジョジーと別の道を歩くになるが深いレベルではジョジーみたいな誰かを探し続けると思う」 と言い、一方ジョジーはクララに対して 「今度戻るときはあなたはもう居ないかも知れないが、すばらしい友人だった」 と告げます。クララは涙を流すような感情は持っていませんが、優秀なAFとして純粋に二人のことを記憶し続けます。 クララは人形ですから、どれだけ優秀であっても不要になればゴミとして捨てられます。人間はその時点で単なる不要品の人形として処分しますが、クララはAi機能を破壊されない限りは、恨みや憎しみを持たずに学んで記憶したことを純粋に思い起こします。 最終章において、人間の人間であるゆえんとAiの機械である所以の対比が良く表現されていて、ジョジーとリックにうなずきと優しさを持って見送る気持ちが湧いてきました。同時にゴミとして捨てられたクララに手を差しのべたくなるような思いと共に、不思議な安心感のようなものも与えてくれました。人間関係を表現し続けてきた作者は、今回、一方をAFに置き換えましたが、やはり深い愛情を表現している様に感じます。ほぼ5年後と思われる次作はどんなテーマになるのでしょうか。 叶うならば 更にその5年後の作品も 健康で柔軟な心を持って 読めればと思います。 |
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![]() USJ マリオとルイージ (孫娘より拝借) |
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