《私の本棚 第278》   平成30年12月23日号

    「夜想曲集」  カズオ・イシグロ 作

 氏の作品は 「日の名残」 「忘れられた巨人」 「浮世の画家」 「充たされざる者」 「わたしたちが孤児だったころ」 「わたしを離さないで」 「夜想曲集」という順に読み進めて長編は全て読んだことになります。ここの夜想曲集は正確には短編集です。「老歌手」 ・ 「降っても晴れても」 ・ 「モーバンヒルズ」 ・ 「夜想曲」 ・ 「チェリスト」 の五作品です

第一編「老歌手」 
 老歌手のトニー・ガードナーは結婚後27年を迎えている。妻のリンディは25歳の時に同年代の野心あふれる女性達を尻目に、時の人気歌手ディーノ・ハートマンを射止めた。その後落ち目となった夫と離婚し、何年か後にトニーに見初められ、リンディからすればトニーの心を掴んで結婚をした。今、夫のトニーは時代から見放されつつある。そして離婚をするという決断のあとベネチア旅行をしています。
 背景に流れているのは、男と女の結婚観ではないかと感じます。男は自身の成功を客観的に証明するのは妻となる女性の容姿であり、女が自身の成功を証明するのは夫となる男の甲斐性の有無とレベルというようなものである。更にはその思いは幾つになっても変わる事が無いということを表しているように思います。


第二編「降っても晴れても」 
 エミリはリンディとは考え方が違っていた。スリムで美しい学生だったが早々と将来の伴侶を決めてしまう。幸い夫は世界を駆け回るエリートに出世するが、50を前にしていささかすきま風も吹いています。そんなとき夫のチャーリーは長年の共通の友人である私レイモンドに、こんな状態の夫婦が仲直りできるよう労を依頼。久しぶりに会ったエミリの変わりようはかつての美しさは何処へやらです。ダメ男の私は何とかしようと頑張ります。お笑いの要素がたっぷりな一遍です。

第三編「モールバンヒルズ」
 売れないシンガーソングライターの僕は、夏の忙しい時期、姉夫婦の店の手伝いが欲しいという思惑と僕の気持ちが一致してモールバンヒルズに滞在している。適当に手伝いをしながら曲作りをしている。そんな所へスイスから老夫婦が旅をしてきます。長年連れ添ってきた夫婦にもすこしすきま風が吹いている様子です。そんな中での関わりですが、老夫婦には何かしら自分達の若い頃を懐かしく思い出すような雰囲気もあります。僕と老夫婦が何処かで結び付くような付かないような、そんな一遍です。

第四編「夜想曲」 
 おれスティーブはサックスの名奏者。しかし顔の悪さから売れないで腐っている。何であんな下手くそが売れておれが売れないんだ?。そんな生活に嫌気がさして妻のヘレンは稼ぎの良い男を見つけてきた。おれと別れてその男と一緒になるという。そしてその男のおれへの提案が、顔の整形手術。費用は惜しまないしその間の生活費も面倒を見るという。そこで、手術を受ける事にしたのだが、隣の部屋で術後の養生をしていたのはなんとあの有名なトニー・ガードナーの妻リンディでした。ここから彼女と病院の中を夜中にウロウロとする喜劇が始まります。

第五編「チェリスト」
 ぼくは未だ有名になっていない冴えないチェリストです。あるとき聴衆の中の女が一人接近してきました。彼女の演奏する楽器を尋ねると、ぼくと同じチェロです。自然な流れから女はぼくの個人指導を申し出ます。彼女をてっきり大家だと思い込んだぼくはそれを受け入れました。夏から秋にかけてほぼ毎日のようにレッスンを受けます。しかしあるとき女は真実を打ち明けます。実は幼少の頃にチェロを習っていたが自分の才能を壊すような教師しかおらず、11歳からはチェロに触れていない。だから私の天性の才能は壊れていないと言います。きちんとした音楽教育を受けたぼく (=ティボール) はある意味で彼女に洗脳されてしまったようです。 

 これらの作品は第二編を除いて音楽をベースにした男女の関わりを書いています。音楽家になりたかったという過去を彷彿とさせます。短編ですし肩の凝らない読み物ですが、様々な表現をしておりそれぞれに面白く読むことができました。私は長編を何作か読む中に、カズオ・イシグロ氏は心の底に、或る日本の作家を留め置いているように思い始めました。それは漱石です。私は学者ではありませんし、学問的にどこがどう似ているとかを述べることはできませんが、これほど変化に富んだ作品を世に出すことができるというのは、偶々の事でないのは言うまでもありません。文筆力の上に何かしら確たる思いがあって生み出しているように思います。私個人的には英国の漱石、日本のカズオ・イシグロという風にクロスし重なるというものを感じています。この作者が書き残す作品は、今後百年という歳月にも充分耐えうると信じています。
 
 
あんな本こんな本、あんな本サイクリング、カズオイシグロ、クララとお日様 




  フリー素材


  前の頁、わたしをはなさないで  次の頁、無明  VolV.目次へ 

 VolV.トップ頁  Vol.U トップ頁 Vol.T トップ頁



 (1)遠い山なみの光   (2)浮世の画家   (3)日の名残   (4) 充たされざる者  (5) わたしたちが孤児だった頃   

 (6) わたしを離さないで    (7)夜想曲集     (8)忘れられた巨人    (9)クララとお日様