《私の本棚 第294》   令和2年11月30日号

    「ギルガメシュ叙事詩」 矢島文夫  著

北欧の神話 ケルトの神話 と共に三冊購入しましたが、この本を手にしたときには帯のデザインがアニメ風でしたから一瞬ためらいました。しかし読書のインパクトはこの本が最も強いものでした。1965年6月に書かれた序文を一部ご紹介します。

---『ギルガメシュ叙事詩』は古代オリエント最大の文学作品である。またこれはギルガメシュという英雄を主人公とした英雄物語と考える場合には、古代ギリシャの長編 『オデュッセイア』 とか、あるいは中世ヨーロッパの 『ロランの歌』 や 『アーサー王と円卓の騎士』 などと肩をならべうる世界的な作品である。とりわけこの作品が今から数千年前につくられたものだということは、われわれにとってこの作品の意義をさらに深いものにしている。これは人間の知られている歴史のなかで最も初期の作品のひとつであり、生命の探求という永遠のテーマをもって貫かれているという点では、最初の本格的な文学作品だからである。またこの作品は、古代オリエントの多くの作品のような宗教的な性格をほとんどもっておらず、半神半人であるけれどもきわめて人間的な感情をもつギルガメシュを主人公とした世俗的な文学作品であることもその特質であって、口承文学的な性格ともあいまって比較的理解しやすい。しかもその表現はそれほど型にはまらず、繰返しは適度に挿入され、形容は時としてすばらしい。宗教生およびある種の政治性がすべてを圧倒していたかと思われる古代メソポタミア世界に、これほどのヒューマニズムと芸術的感覚が見られるということは驚きでさえある。私がこの物語の翻訳と紹介を志したのも、それらの点に深い感銘を受けたためにほかならない。 『ギルガメシュ叙事詩』 (古代には作品の出だしの言葉をとって題名とするならわしがあったから、これは 『すべてを見たる人』 と呼ばれた) は本来シュメール人に起源を発することが判明してきている。シュメール人というのは、ティグリス・エウフラテス両大河の河口あたりに住んでいた古代民族で、多くの遺跡および発掘品によって相当高度な文化をもっていたことが知られているが、その人種的系譜はほとんど分かっていないに等しい。この人たちは絵文字から発達させた独特の文字を用いていたが、これが楔形文字と呼ばれるものである。---

 この物語は偶々発見された粘土板に不思議な文様が書かれていたことから研究が進んできました。メソポタミアに数千年間栄えたアッシリアとバビロニアの大国・取り巻く大小様々な民族文明は、続いて起こった地中海勢力にとって代わられ、キリスト誕生と前後して歴史の闇に消えたとされています。1172年にシリアの遺跡パルミラを訪れた人物の記録があり、1616年と1630年のフランス人の2名は有名で、その後1786年にフランス人ミショーが持ち帰った表面に不思議な記号 (楔形文字) が刻まれた石は、ルーブル美術館に収められているということです。この楔形文字は、私が小学高学年か中学生の授業では未解読と聞いた記憶があるのですが著者の研究年代を読んでいると、当時でも解読は進んでいたようです。結果的に全体としてはチグリス・ユーフラテス文明の物語であり、ノアの箱舟伝説とも何らかの関連があるように感じられます。これは勿論学問ではなく単なる個人の感想なのですが、古事記との関連性も感じました。第十二の書版と称されるものの研究が進み、そこには叙事詩と異なる神話風の内容が記されているということです。そのシュメール語版には 「天と地がはなれて人間が創造され、アヌとエンリルが天と地の支配を行ってのち・・・」 という出だしではじまっているとのことです。古事記においても、天上の高天原にいたイザナキ(男神)とイザナミ (女神) の二柱は下界に国を作ることを命じられ、そのしるしとして天沼矛 (アメノヌボコ) を授けられ、その矛で海をかき混ぜた滴でオノゴロ島 (淡路島) を作り、その後次々と国を生み出していったとされています。
このあたりは神話なのですが、主人公のギルガメシュは半神半人とされています。その理由は神話的な物語部分と実在していたのではないかと思わせる出土品が沢山発見されているからと言う事らしいのです。この叙事詩には人間くさい話しが随所に語られています。一部箇条書きでご紹介しますと、

   第一の書板
     ・六日と七晩、エンキドウは遊び女とまじわった

   第二の書板
     ・彼は第一であり夫はそのあとだ (当時の仕来りのようです)

   第六の書板
     ・私の夫になってください、あなたの果実を私に贈ってください

   第八の書板
     ・泣き女のように烈しく泣き叫ぶ   
     (文明の関連性は定かで無く 少し飛躍しますが、パールバックの大地に登場する葬列における泣女を想像します)

また解説には、 「ギルガメシュはたびたび夢を見て未来を知っている。バビロニア人は夢を神々の世界との接触の場と考えていたが、また冥界を夢のうちに見たという物語も残されている。夢の内容がはっきりしている場合もあるが、当人には分からないので伺いを立てるという場合もしばしば語られている。」 ともあります。
この話は日本にも古来からある話しとも通じるものがあります。
 更に第三の書板には、半神半人のギルガメシュと戦友のエンキドウはそれぞれの体に200㎏ほどもある武具を身につけて出陣したとあります。神話と解したり古い時代なので漫画チックにネアンデルタール人との混血とみても面白いかと思います。更に多少飛躍しすぎかも知れませんが、これは物語の読み手を楽しませる誇張と考えてはどうでしょう。日本の古典にもそのような表現はあります。総じてこの部分はホモ・サピエンスが他のヒト科のヒト達が滅んでいく中で、今日まで繁栄し続けていく過程での重要な通過点であり、半神半人 (つまり、人間でありながら神の様な存在) はキリスト誕生によりその立場を取って代わられたことを示唆するものであるのかも知れません。
 ヒトが集団の人として発展するには、神話であれ宗教であれ或いは己の中の絶対他者であれ、拠り所とする絶対的な何者かが安定した集団形成に必要だったと思います。読み終えて、世界の文明というのは決して単独で起こったのでは無く、先に起こった文明の影響が伝播してその形を変え、その地に合ったように伝えられていると感じます。中国には尭・舜・禹という神話時代があります。(禹時代は遺物が発見され実在したという話しを、50年くらい前に聞いたような記憶があります) 古事記にも神話と称される時代があり、そこに登場する神々の名は、時に日本人の名とは感じ得ない名があるというのは私だけの感想でしょうか。
因みにこの叙事詩の時代はアイスマンの生きた時代とも重なります。

 
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