《私の本棚 第171》 平成23年6月号
あまり心地よくもないこの題名の小説が、なぜ昭和13年第6回芥川賞を受賞したのか、読んでいてもよく分からなかった。 格別に何かを訴えるわけでもなく、考えさせるわけでもない。ただ淡々と糞尿汲み取りを業として成功させようとする主人公を描いている。昭和30年 (私7歳) 頃までは、現在の下水どころかバキュームカーもなかった。近隣の農家に声を掛けて依頼し、農家もそれぞれ 「お得意様」 があったようだ。リヤカーに木製の桶を二荷くらい乗せて汲み取りをし、帰る時は藁を丸めて蓋にして運んでいた。初期の記憶では農家が御礼を言って帰っていたように思うが、いつの間にかこちらが御礼を言うようになっていたように覚えている。その頃になると言葉と一緒にタバコ一箱 (多分 「しんせい」 が相場だったとも記憶する) も添えられていた。恐らく時期を重ねて次第に化成肥料が普及してきたのだろう。扱いやすく労力も軽減される肥料が普及し、糞尿 (有機肥料) が敬遠されるのは自然の成り行きだったと思う。実際はこの有機肥料、今なら鶏糞か牛糞で育てる野菜の方がはるかに美味しいのだが。 そんな記憶を持つ私が読んでも、何か特別に表現したいことがあるのかと考えると分からない。主人公の彦太郎は代々残されてきた身代を事業の失敗で食いつぶした後、この糞尿汲み取りを事業として成功させようと頑張ってきた。しかし軌道に乗る兆しが見えてきたとき、学の無いことにつけ込まれてその権利の75%を乗っ取られてしまう。それでもへこたれないところで終わっているが、それ以上に何かを訴えたいという風でもない。 |
大山桝水高原(伯耆富士) |
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