《私の本棚 第308》   令和3年11月17日号

          「聊斎志異」 蒲松齢 作? 著?

  この作品はあんな本サイクリングのサイト、第一分冊の読書感想第4号に掲載しました。そのトップ頁にも書いたように、当時毎月発行していた超ミニコミ誌の隅に掲載していたものをそのままサイトにアップしていました。現在見返すと、【手元に昭和45年発行、角川文庫の 「完訳聊斎志異」 がありますが、残念ながら全4巻の内第3・4巻しか残っていません。】 と書いてあります。私は(恐らく)義兄に貸したままで行方不明の一巻と二巻の事がずっと心残りでいました。実際の蔵書としては、第三巻は昭和44年8月20日 改版初版発行となっており手作り印も押してあります。思えばその月は21歳になったばかりです。何年か前に書店で 「大活字版・聊斎志異全一冊」 を見つけて購入しました。しかし装丁が全く異なるそれではどうしても心底納得できる事にはなりませんでした。 (悔しい哉吾が目には程良く迫る大活字) コロナ禍と菅首相退陣の時期、気分転換を兼ねて探していると、同じ角川文庫発行の聊斎志異第一巻と第二巻を見つけました。昭和52年と53年の改版で、背表紙の見た目は少し異なりますが安堵感とでも言う様な気持ちになりました。
 日本の古典や漱石・ゾラの作品などを読んでいると疲れの溜まる感じがすることもあります。息抜きにとの思いで、楽しい短編集を読み返してアップするのも良いかなと思った次第です。
 序言には次の様な言葉がありました。
---聊斎によって志(誌)るされた怪異譚、広く世界で翻訳されている。怪異譚ではあるが、妖艶な情話が多く神女・仙女・鬼女・狐女が愛し親しむべきこの世の佳人のように思われてくる。注意して読むと中国の明末清初の風俗習慣がよく分かる。著者は人から聞いた話を書いたり、諸方の学者が提供してくれたものを書き直したりしたと記録を残している。郵筒で提供した者の大部分は秀才 (中国の科挙(官吏登用試験)の科目の一つ) であったろうと思われる。それは志異中の主人公に秀才が多いから。聊斎の自誌に「人の鬼を談ずるを喜び」とある所から、想像説だと言う人もあるがそれはそれで良いではないか---と述べられています。
 聊斎は445篇の短篇、王侯から乞食に及ぶ社会各層の人物を網羅、老若、男女、貧富、賢愚、善悪、美醜等残るところなく全篇中に描写し20歳代から76歳まで書き続けたようです。
 読者の私は作り話として読めば良いと思っていますし、冒頭の本人名に続けて 「作?著?」 としたのもその辺りの迷いです。ただ、作り話にしても、実際の人間の絡み合いを基にして登場人物を人間でないものに仕立てたようです。発表されて凡そ350年、永遠に残る作品なのでしょう。芥川龍之介、太宰治はじめ多くの作家・詩人が、この集に魅せられ、おぼれるまでの愛読を告白…ともあります。ここまで読んで改めて気づきましたが、この点が柳田国男の遠野物語は民俗学という位置づけとは決定的に異なるように思います。同時代を生きた柳田氏も愛読し、日本風にアレンジしていたのではないか?という根拠の無い想像をします。 
 個人的には、中二か中三の頃、夜遅くラジオで聞いた語りの微かな記憶、その後は21歳の頃迄の思い出と言える程の記憶が無い期間があるが故に、書籍の行方不明が気にかかり続けたのかも知れません。今後は適時各編を個別に感想掲載したいと思います。

あんな本こんな本、あんな本サイクリング、聊斎志異、蒲松齢




  フリー素材





 前の頁、ガラスの靴    次の頁、大地(ゾラ)     Vol.Ⅲ.目次へ   Vol.Ⅲ.トップ頁  

 Vol.Ⅱ トップ頁   Vol.Ⅰ トップ頁



   聊斎志異全般   西湖主   医術  丁前溪   宦娘