《私の本棚 第301》   令和3年4月19日号

      「遠野物語」 その2  柳田国男 著

 遠野物語は平成25年1月 (2013年) にアップしました。しかし、何故それだけ沢山の物語が遠野にあるのかと言うことの疑問が払拭できないままでした。従って当時の感想文書き出しも 【それにしても、なに故遠野という地方にはこれほどの話が存在したのか不思議でなりません。読めば読むほどその思いは強まるばかりでした。私の場合は、北国で雪に閉じ込められた囲炉裏端で語り継がれた話として読みました。】 というものでした。
 話しが少し飛びますが、岩波書店の 「図書」 2021年2月号に 「子どもらしさ」 と題した畑中章宏氏 (民族学者) の文章が掲載されていました。考えさせられることの多い内容で、・・・子どもらしい子ども、大人しい子ども・・・、 ・・・十三、七つ・・・、 ・・・七歳までは神の子・・・ といった副題に続き、・・・伝説か、伝統的観念か ・・・ と展開していきます。この中で柳田国男1914年の 「七つ前は神のうち」 という説を紹介した上で、具体的な事例をあげたわけではないと指摘し述べます。更に続いて柳田国男が太平洋戦争中に書いた 『先祖の話』 で、 「七歳までは子供は神だという諺が、今もほぼ全国的に行われている」 と強調したが、このときも具体例は示さなかった。その後 「七つ前は神のうち」 説が民俗学の分野で主流となり、受容されていったが、1980年代末から90年代にかけて民俗学の内部からも批判的言辞が提示されるようになったと述べています。
 更に ・・・発見された 「子供期」 ・・・ という副題の中でフランスの歴史学者フィリップ・アリエス氏の (1960年発表) 子供期という概念にふれています。概略を紹介しますと、 【かつての伝統的な社会では、子供が死亡したばあい一般的には子供に対してあまり保護されず、すぐに別の子供がうまれてくるとうけとられていた。子供は一種の匿名状態からぬけでることはなかった (つまり、昔、子どもはいなかった)】 近代以前のヨーロッパ社会では、子どもの出生や死に対しても無関心だった。七歳くらいの年齢まで生き残ったものだけが、小さな大人として扱われ、労働力として家族の数に加えられた。と紹介しています。
 ここまで読んで私はふとかなり以前にTVで見た光景を思い出しました。アマゾンなのか別の国なのかは思い出せませんが、未開種族において新生児を育てるか遺棄するかは母親の決定に任せられます。ジャングルの中で独りで産んだ母親は暫く思案をしています。育てる場合は連れ帰りますが、遺棄すると決めた場合は近くの樹木の枝に乗せて蟻や肉食の動物に任せます。 (この放送映像では連れ帰りました) むごいとか何とか言う話しでは無く、母親が決定すること自体が動物進化の過程であり、人類が辿ってきた遠い過去と思っている事が地域に依っては当たり前の現実として残っているということでしょう。
 この図書2月号を読んで過去掲載の遠野物語読書感想に於ける疑問が再びよみがえってきました。そこでウエブ上に何か参考になるものは無いかと検索をしていると、総合研究大学院大学の室井康成氏の論述が見つかりました。題名は 【『遠野物語』をめぐる”神話”の構築過程--その民俗学史的評価へ向けての予備的考察--】 です。
 その中には柳田国男と佐々木喜善の関係に関して種々裏付け資料を挙げながら考察されています。当然、学者の書かれたものですから徒に足を引っ張るような事はのべられていません。しかしながら、遠野物語を民俗学的な基礎をなすものという評価について数々の異議を述べられています。その点、宮本常一氏は自らの足で尋ねて回るなど大変な努力をされています。私は勿論一読者ですから、傍証資料を述べることは不可能ですが、角川文庫新版遠野物語 付・遠野物語拾遺の解説に 「佐々木喜善、筆名は鏡石、繁、小野万草、遠野草刈、佐々木遠野。・・・」 とあること。36歳の法制局参事官兼宮内書記官の柳田国男は遠野出身の25歳の早稲田大学生喜善から東京の柳田宅で断続的に聞いた話を1910年に文章にし出版したこと。その後、室井氏の論述によれば 「1931年に佐々木喜善はひろく遠野の昔話を採録した 『聴耳草紙』 を出版したこと。私の疑問は、なぜ佐々木喜善は柳田国男に遠野の話を行ったのかという経緯が明瞭になっていない事。なぜ遠野物語は共著では無かったのか。柳田と喜善の遠野に伝わったとされる物語に対する二人の思いの一致や祖語に関して検証されたものが無い事。遠野出身の佐々木喜善も柳田国男も遠野に於ける現地裏付けを行ったという形跡が無い。それが言い過ぎならば、裏付けの詳細な記述が無いなど、ない無いばかりが積み重なる中で学問的な裏付けのある事ではなく、民俗学的文献では無く創作民話の感覚で記述されたものではないかとの思い。そこから平成25年1月アップのような書き出しになったものです。

 今回は一読者なりの何となくモヤモヤとした気持ちが多少晴れたということになるでしょうか。

            宮本常一氏の他の作品   「天誅組のこと」   「忘れられた日本人」   「下北半島」 

あんな本こんな本、柳田国男、佐々木喜善、ルーシー 



 2016年8月30日の ルーシー に関する記事


 リチャード・フォーティ著の「生命40億年全史」

 にも記述がある(読書感想アップ無し)




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