| 《私の本棚 第356》 令和7年11月 1日 号 「流れる」 幸田 文 作 |
漱石の 「明暗」 に絡んで幸田延を調べているとき、露伴の二女がこの小説を書いたと知りました。作品は1956年 (昭和26年) 11月からの実体験を基にして書かれたものです。何しろ 「明暗」 を読み終えた後ですから、難しく考えてしまって多少の戸惑いもあり、どんな風に読み進めれば良いのかと困っていました。しかし途中から映像を浮かべながら読むと、随分イメージし易い作品になりました。 内容的には、格別何がどうというものでは無く、当時の芸者置屋の日常を女中として働く自分の目で、あれこれと書かれています。老若の芸者と置屋の主人や日常の買物に関するお金の動き。特に 「掛け帳」 は見たことの無い人には想像が出来ないと思います。物を買う時は分かりますが、更にタクシーに乗る時にも使われていたことを初めて知りました。幼少の頃、親の手伝いで掛け帳を持って食品を買いに行った記憶があります。芸者達の日頃の苦しみから来る他人を見抜く目・というか心もよく表されています。或る意味では当時の下層社会で暮らす女性を丁寧に表しています。しかし私からすれば、露伴の二女が職探しの結果、置屋の住み込み女中になったのは何故? という思いが湧きます。でも人生には色々な事が起こりますし、その選択も御縁ですね。終わり良ければ全て良し。 遠い過去には、家族の暮らしの為に売られた女性が多い時代もありました。その仕事も様々でした。現代なら悪人の口車に引っかかった結果ということもあります。若い女性達は余程気をつけて、自分を大切に日常を過ごして欲しいと思います。売春防止法の施行は1957年4月1日、罰則の施行はその1年後。これに伴って赤線も廃止されました。多分、7~8歳位の事ですが、何となくあそこが最近まで置屋 (全てのサイト中に写真はありません) だった、というようなことを聞いた記憶があります。古い時代の、更に自分の人生には格別接点の無いものですが、何故かしらボンヤリとした想い出です。 1956年に映画化された事は読書の途中で知りました。成る程、作品の表現や構成、更に当時の世相から大変映画化し易い作品だと思いました。これに反してカズオ・イシグロ氏の作品はもの凄く映画化しづらいと思います。最近、妻に誘われて映画 「遠い山なみの光」 を観に行きました。帰宅後、良かったか?と尋ねると、案の定、「 うーん?? 」 と。 又、「日の名残」 は名作ですが、映画化は極めて困難だと思います。 ここ二三年の事ですが、妻が韓国ドラマをよく見ています。私もたまに何となくのぞき見をしますが、カズオ・イシグロ作品の展開を真似た構成を多く感じます。それは無理ですよね。映画は目で見、耳で聞いたもの (それら全てが監督の解釈) を受け容れます。文学作品は文字を読んで風景と人物の心を思い浮かべ、それを解釈して納得します。 カズオ・イシグロ氏の作品は或る意味哲学で、「坊ちゃん」 や 「吾輩は猫である」 は別として、漱石作品と同じです。それを映像で理解納得させる事は成立しないと思っています。 |
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