《私の本棚 第357》   令和7年12月 2日 号

「死ぬ瞬間の5つの後悔」   ブロニー ・ ウェア 著
  
 読書感想を書く書籍としては、題名からして余り適切では無いと考えました。しかしこれを読んでいて、西洋人も東洋人も 「人」 としての心の在りようは、深い所で同じだと思いました。同時に、二十代から三十代の若い人達が読むと良いのではとも感じました。そこで、少し違った観点からご紹介しようと思います。
 人は誰でも生まれて成長していく過程で、「良かった」 と思える人生の時期を感じにくいものだと思います。何をしてもしっくりしないし、のめり込んで行けない時期もあります。ブロニーさんも優しい女性ですが、自分の人生に何かしら物足りないものを感じておられたようです。オーストラリアを出てイギリスを旅し、長期滞在出来るような家を探していました。その時に 「住み込みの付き添い募集」 広告が目にとまります。其処で重い病と闘うアルコール依存症の女性アグネスと接する事から、介護ヘルパーという仕事に心を引き寄せられて行きます。それからは幾人もの末期患者の方々との交流が始まったのです。聡明さと優しさを持った著者は、人としての多くの生き方を学びました。
 これを書く私も自分の年齢から、未だ少し先の事とは思いつつも、新聞広告の標題を目にして何となく惹かれました。これまでにも内容は少し異なりますが、高齢女性の書かれた書籍を二冊読みました。何故かしら自分の過去を振り返りながら、反省では無く自分自身を振り返って見つめているようにも感じます。
 介護を受ける人の死の直前の様子を書いた文章があります。

・・・・・・深い昏睡のあと天井に向かって微笑んだ。ご主人は驚いて 「笑ってる。何かを見て笑っている」 と。何かに向かって微笑みかけている彼女。天井を見つめ驚くほど幸せそうに微笑んでいるのを見たら、「人間には今の人生の後に行くべきところか、帰るべきところがあるのだ。」・・・・・・(原文を少し簡略化)

 私はこれを読んだとき、この様な死の間際の状況は日本人 (仏教徒) だけでは無かったのだと悟りました。死期が迫っている人の同じ様な様子を見た記憶があります。
 地球上には多くの国や人種が存在します。今という時代だけを見ると想像できませんが、人類進歩の歴史を思うと不思議では無いはずです。 320万年前の初期人類(ルーシー) が今のエチオピアから地球上に生活域を展開して今日に至りました。居着いた地域によって環境は著しく異なります。当然、考え方もそれに応じて変化します。しかし、身内・親しい隣人・知人に対する思い (言語は未発達でも) はそれ程違わないでしょう。人間に最も近い猿はチンパンジーと思いがちですが、実際はコンゴ民主共和国の「ボノボ」のようです。現在の生息域もルーシーに近いと言えます。ボノボは類人猿のまま、ルーシーは人間に進化したと言っても構わないように思います。
 人間の深い所にある記憶はどのような仕組みになっているのか分からないとも思います。私たちが通常 「記憶」 と言っているのは努力して覚えていることや、五感で刷り込まれたことを指しています。しかし想像することも不可能な遠い過去の記憶が、脳の何等かの働きに依って、今まさに死ぬという時に浮かぶ事もあるのだろうとも思います。自分が死ぬ間際の心を人に伝えることは出来ませんから、生きている人達はその人の心を知る事はできません。
 書いている今、思い出した事があります。家内が 「女の人は地図を読み解くのが苦手」 だと言いました。その原因はルーシーやボノボが別れて進化した頃にまで遡るのでは?という私の想像です。雄は狩猟採集に遠くまで出かけます。雌は居住地で雄が持ち帰ったものを食べるために手を加えます。つまり雄は道無き道をどれほど遠くへ出かけても戻って来る必要があります。雌はそんな事には無頓着で食べる用意ができ子育てができれば最高でした。猿と人間の分岐点時代は、言葉は少なく鳴き声 (音程差) に近かったと想像します。幅広い意味での 「類人猿」 が出産間もない小猿を抱いている様子や、少し離れて見ている雄猿の様子は人間とほぼ同じです。現代ではある鳥の鳴き方の意味を解析した人もおられます。熊も学習能力が高いという事です。人間もそのような時代を生きてきました。そんなことが脳のどこかに秘められているのでしょう。だからこそ現代になっても、仕事と家事育児には個人差は別として一般的に男女の力量差があるのだと思います。
 しかし不思議な経験を重ねると、何となく 「あの世・その世・この世」 に想いを寄せる事はできます。著者は多くの思いを書かれています。これはもう
思い(・・)では無く哲学とも言えます。このサイトと併せて人生論ノートのサイトをお読み戴くと分かり易いかと思います。

 ●「失敗と言うのはない。何かをはじめればそれでもう成功なのだ」
 ●「吾唯足るを知る (サイト 「人生論ノート」 中、最後段)」
 ●「どれだけのお金を持っていても、正しい使い道の無い人は幸福を感じない」
                          (サイト 「人生論ノート」 中、成功について)
 ●「一人か二人だけを助けることも重要で立派な事なのだ」 
 ●「人はみな死ぬ。けれどそれまでの間どう生きるかは自分で選べる」 
                          (サイト 「人生論ノート」 中、死について)
 ●「周りにどれだけの人がいるかは問題ではない。たくさん人がいても、自分をわかってくれる人やありの
   ままの自分を受け入れてくれる人が一人もいなかったら、すぐに孤独に苦しめられる」
                          (サイト 「人生論ノート」 中、孤独について)

 翻訳者はあとがきで、本書の原題 「5つの後悔」 を次のように纏めておられます。
 ① 「自分に正直な人生を生きればよかった」
 ② 「働きすぎなければよかった」
 ③ 「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
 ④ 「友人と連絡を取り続ければよかった」
 ⑤ 「幸せをあきらめなければよかった」   (サイト 「人生論ノート」 中、幸福について)

 私は、著者ブロニーは人生に苦しみ悩みながらも耐え抜いたからこそ、多くの終末期の方々と接触があり、自分自身も成長されたと思います。まさしく、努力した結果のご縁です。そしてこの様なことは気付くかどうかは別として、私たち読者も多くの方々が経験される事でもあると思います。
 この本を読んでいるとき、表題が自分の年齢と重なってやや過激?と思い、読まない時は裏表紙を上にして置いていました。ところが帯紙には 「これを知れば、人生は今からでも変えられる」 と印刷されています。それを目にした家内は 「歳だからもうそんな必要は無いのでは?」 と笑い、私も笑って返しました。しかし近年は変わった夢 (5月17日朝追記) もよく見ます。目覚めると詳しくは思い出せなくなりますが、これまで経験したことの無い何かしら一寸した作業・仕事や知らない人との交流会話のような夢です。このサイトを概ね書き終えた11/19の夜か明け方にも、猿と人間の分岐点時代の意思疎通に絡んでどう進化したのかと言うような、変てこりんな夢の又夢をみました。11/20の朝刊に 『動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか』 という書籍広告がありました。タイミング的に不思議な気持ちになり、広告を切り取り保管。生きている間は、夢も自分の遊びとして楽しむようにします。


 
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