《私の本棚 第240》   平成28年11月号

     「一読三歎 当世書生気質」 坪内 逍遙 作 

 1885年 (明治18年) 発行。文学史で目にした人も多い作品ですが、実際に読むとなると些か困難です。しかし、文学 (小説) そのものを確立した作品です。

一つ、読点がなくて代わりに句点を用いている

一つ、行替え時の一字下がりに○を書いてある。

一つ、漢字の用い方が当時は一般的であったか或いは別に意図があったのか分からない が、今となっては当て字が
     すこぶる多く、全てフリガナを振ってあるし、振っていなければその様には読めない。

一つ、駄洒落のつもりだろうが、カナ書きやローマ字綴りの英語が随処に出てくる。しかし殆ど中学生程度。

一つ、曲亭 (滝沢) 馬琴に憬れてその影響を強く受けている。

一つ、古典とは言えないが、当時の学生や一般人の生活を全く知らない。にもかかわらず現代と重ねて読んでしまう。

一つ、「メッチャ騒ぎで・・・」 という現代若者言葉と思っていたものが使われていた。
    (例えば:滅茶=メチャ・滅多=メッタ)

一つ、「人生概して五十年」 と話す箇所から、信長の幸若舞「敦盛」を思い出したり、明治初年頃でも寿命は同じ程度と
     いう事を知った。

一つ、さすがにハチャメチャ過ぎて気が引けたのか、芸子を娶るのはいかがなものかに関して、三段論法的に格好を付
     けて話を展開する場面もある。

内容的には、遊郭の女性達と書生 (学生) の関わりを描いており、格別なものは含んでいないと思います。遊郭の女性と結婚する者もいて、逍遙も花紫という娼妓と結婚しています。

 私は読んでいて東海道中膝栗毛を思い出したり、落語・漫才・浪曲・浪花節などを連想していました。文学そのものが未確立の時代にあって、戯作・擬古典・写実をかまわず放り込んでいます。この作品はその様に面白おかしく実験的に読んでもらうために書かれたと感じます。しかし、明治維新後の当時の学生 (東大) は多かれ少なかれ、人生を謳歌し遊びも勉強も充実した書生が多かったと感じます。そのような学生が多い反面、取り敢えず東京へ出て書生になったものの、退学したり放校された者も多かったようです。
 出版されると、新しい読書階級の東大生や私立学校生の間で評判になり、飛ぶように売れたとあります。そういう位置付けの作品とは理解できますが、私はこのイメージを今の大学生に当てはめて上手く置き換えできません。

  当時、福沢諭吉が、「文学士ともあろう者が、小説などという卑しいことに従事するのはけしからん」 と言ったと伝わっています。
 
橦木町、あんな本こんな本





遊郭は私が小学生低学年の頃廃止されました。

この写真の橦木町は忠臣蔵の主人公大石内蔵助が

自分の本心を悟られないために入り浸っていたと伝わります。

そのような理由で地域の方々も敢えて残しているのでしょう。


 
よろずや、大石良雄石碑、あんな本こんな本





 
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