《私の本棚 第335》 令和6年5月22日 号 |
この5月号は私に取っては全体に馴染みやすい筆の運びが多く、その中でもこの話しはしっくりと文章を追うことができました。 小学五、六年生の頃買ってもらったジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」が本を読む切っ掛けになったと仰っています。私の場合は 「スイスの家族ロビンソン」 でしたが、似たような事でしょう。中学時代は番長グループに目を付けられてつらい思いをされていたが、父親の極端な指導言葉でアッと気づく事があり、以後はかまわれなくなった。でも自分をいじめに寄ってきた子も苦しさに耐えかねているような事を持っていたらしい事を知り、人生にはそういうことが有るんだと気づかれています。 高校は不合格になるのは余程できの悪い生徒だけという学校へ進学、授業は適当にうけていましたが、あるとき英語担当の女性教諭から延々30分ばかり砲火を浴び続けます。それが切っ掛けで勉強に励むようになり成績もアップ。 大学進学時にはクラスメートから 「受験の凄い穴場がある」 と教えてもらい、いくつかの大学と並行して受験。最後の穴場外国語大学新設学科以外は全て不合格になったが、父親から 「受験なんて運や、苦手科目があるなら残り一週間それだけ勉強して、だめならその時考えたらええ」 と激励され、結果穴場大学に合格。 大学では高校の英語担当先生の教えを守って授業を受けた。四年生で就職を考えている時期に先生から呼ばれ 「どこの語学系の大学でも一期生の中から一人残って教鞭をとるのが慣例になっている。君がいいだろうと意見が一致した。どうかね?」 とお声がけ。 卒論で取り上げたスペイン作家の作品には自分が探しているものはないように思えたが、一人のメキシコ人青年との出会いと 進呈された本が自分の人生を決定づけることになった。 『以上が、人生というのはどこでどう転ぶかわからないと実感している老翻訳家の来し方である。』 と結んでおられます。 成り行き任せ とされていますが、母校の学長にまでなられた翻訳家ですから、当然読み手のことを考えて取っつきやすい題名にされたと思います。書かれていることも如何にも成り行き任せのように筆を走らせておられますが、決してそうでないことは容易に察せられます。小中高生がおもに読む書物なら、標題も内容表現ももっと違ったものになったろうと思います。私が読めば、この先生の努力とご縁が運を呼び寄せたとなります。 蛇足になりますが、このサイトを目にする中高生が居られるかも知れないという思いで 追記しますと。 木村先生は私が5歳の時に亡くなった兄と同い年です。「ぼく」という詩の読書感想に付記しました。もし現在も存命していたとしてもこの先生のような立派な人には成れなかったとは思いますが、岩波「図書」発行から昨年12月号で75年経った事と私の年齢が同じだったり、本を読むようになった切っ掛けが私と同じであったり、中学時代の番長グループとの関わり等と不思議な思いがします。そうしてこのような事に何気なく思いを漂わせていると、私の好きな歌曲中「ヘッドライト・テールライト」や「顧みれば」が心の中に浮かんできました。 今、私の置かれた人生のこのタイミングで、木村先生の永い人生の一端に触れる事ができたのは、身勝手な言い方をすれば何かのご縁でしょうかね。 |
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