《私の本棚 第332》   令和6年1月29日 号

   「生きる権利を他と比べてはならない」   木村 草太 著
  岩波書店 「図書」 新年の1月号を開いているとこの文章が目に止まりました。標題の新赤版が出版されたのがいつなのか分かりませんでした。図書に掲載されているのは筆者が一番言いたかった事の抜粋と思われます。2006年に新司法試験制度ができ、2011年には旧司法試験制度は終了しています。 
 凡そ400字ほど読み進めると、筆者の思いと少しずれがあるかも知れませんが、法学部と社会福祉学部でそれぞれ学ぶことと社会で為すべきことの乖離を感じました。同時に司法試験に挑む人達の中に、これ程視野の狭い=考えの浅い (一方向からしか物事を考えない) 人達が多いという実態に落胆しました。
 取り上げられているのは2010年の司法試験問題で 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利 (生存権)」 (憲法25条1項) に関する出題という内容で、生存権とホームレスの生活保護申請をどのように取り扱うべきかを問う内容だったようです。筆者は、法科大学院の憲法講座では自由権について学習するのにおおくの時間が割かれ、生存権について十分教えていないから 云々 と述べられ、この司法試験結果の現実を見て全国の法科大学院の憲法担当教員も反省しているはずですと書かれており、ご自身も反省の弁を述べられていました。
 しかし、司法試験を受けるのは高校生ではなく大学や法科大学院で授業を受けつつ、自ら学問に取り組み思考を深め、将来はその知識を駆使して困る人達を助けたり善悪を判断する仕事に就こうとしている人達です。当たり前ですが大学の授業ではあらゆる事を全て題材にするということは不可能です。問題文を目にしたとき何を問われているのか、AとBが向き合ったときそれぞれにどのような背景や言い分があるのかといった事を突き詰めなければならない筈です。そしてそのような問いかけ、自問自答を繰り返しながら学んでいるはずで、それこそが大学で学ぶという姿勢だと思います。もう四五十年もすれば旧司法試験制度で法曹関係 (裁判官・検察官・弁護士) の任に就く現役世代はいなくなるでしょう。私たち一般人が安心してお任せできるように、司法試験合格を目指す人達には更なる努力を期待しお願いするものです。
 何日か前ですが、京アニ放火殺人の死刑判決が出ました。TV番組での出演者コメントか新聞記事かは忘れてしまいましたが、この判決を出した京都地方裁判所判事の判決文が見事なものであると述べられていました。今後はこの判決文のような姿勢が前例となって行くであろうとの事でした。内容は被害者や遺族に寄り添うのは当然であるが、加害者も単純に 「悪」 と切り捨てるだけでは無く・・・云々という具合に聞き取り (読取り) ました。記憶は明瞭ではありませんがかつて60年ほど前でしょうか、同じく京都地方裁判所の何某判事が交通事故判決で組み立てた 「双方の過失割合」 が、その後の絶対的基準となった事を記憶しています。 新しい時代に向けて高い志を持つ若い人達には、一般の人達よりも何段も高い見地からのこころざしと奮起と努力を期待します。
余談ですが岩波書店の月間誌 「図書」 は2023年12月号で発行開始75年を迎えました。私と同年齢です。





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