車旅  こどもの日に 大川小学校へ 
   
2024.5.4(土)~5.10(金)
あんな本こんな本、こども達、四国遍路、宿毛市、松田川

 2018.04.28 四国遍路にて
 宿毛市 松田川
 (こども達と一緒に巡ったみち)


 今年の 【五月五日こどもの日】 にはもう一度大川小学校へ行きたいと思っていました。行くからにはお線香の他に子供達の喜びそうなお菓子も持って行こうと何日か前から準備。五日朝に到着するには四日早朝出発と決めていた。今回はと言うか今後は、遠方へ出かけるにも高速道路は利用せずに一般道を走ると決めています。もうムリに時間をお金で買う必要は無い。それでなくとも歳を重ねるに連れて時は向こうから駆け足で近づいてくる。地図とナビで調べて 「道の駅関川」 で入浴と軽い食事をとってから 「道の駅天童温泉」 まで行って車中泊と決めていました。1日(水)に突然左足を踏ん張り辛くなりました。力が加わる姿勢をとるとかなり痛みます。座骨神経痛が困った症状を起こしたようです。でも無理矢理散歩をしたりしているとどうやら4日には出発 (運転) できそうな程度に回復しました。

4日(土)・4:05出発 ナビ任せでハンドルを握ります
 R161を進みますが、右には見た事の無い琵琶湖の夜明けや左に敦賀湾の景色を見ながら走行。ファミレスで適当に食べ物を口にしました。震災があったのは2011年3月11日、今は2024年5月、ということは13回忌になるなあ、13回忌って有ったかな? (正しくは2023年が13回忌・どのような意味合いがあるかは調べながら書いている今、初めて知りました) 。行って子供達は居るかな。それとももう居ないかな。居れば何かを感じると思うし。帰りは道の駅つちゆで車中泊する予定だけれど 子供がまた夢に出てきてくれるかな・・・等と思いながらハンドルを握っていました。
 関川で風呂に入ってからコンビニで食べ物を購入したのは20:22でした。ガソリンはまだ石巻まで行けそうなくらいは残っています。「道の駅天童温泉」 に到着したのは23:07になっていました。満車です。しかも駐車枠だけで無く通路だけを空けて駐めています。これまでGWに旅をしてもこれ程の状況はありませんでした。私以外にも何台かの車がウロウロとしています。運良く1台が出た直後にさしかかり駐車ができ、23時半には横になりました。
 
5日(日)・3時過ぎ起きだしてナビに大川小学校を目的地に設定
 ガソリンの残量を確認。到着時には更に100㎞ほど走れる余裕のあることを確認するが、もう少し気持ちのゆとりが欲しい。昨日は疲れていて何気なく大丈夫と判断していたらしい。何処かに24時間営業のGSが無いかナビに尋ねながらウロウロするがやはり閉まっている。まあ走っているうちに営業している所があるだろうと気持ちを切り替えました。仙台市まで来ると6時前でしたがコンビニと併設されたGSがあり一安心です。朝食を兼ねて40分ほど居たようです。
 大川小学校には8:42に到着。しかし違います、かつての空気感が全くありません。何処を見回しても何も子供達を感じません。行政の意思は見えます。お線香・蝋燭・お供えは置き場所が有りません。エンゼルや仏像の位置は全く別の場所に移動されており、其処に供花台があります。裏山に関してはほぼ触れられていないようです。「大川震災伝承館」が淡々とかつての悲劇を伝えています。何も見る気はしません。私は 「子供達は生まれ変わるために天国へ旅立った」 と感じました。かつて子供達に 「でもだれもせめないでねおねがいだから」 と訴え掛けた事は誤りでは無かった。子供達は元気に 「お爺ちゃん、僕たちわたしたちはみんな お空で楽しく頑張っているから、お爺ちゃんも自分を大切にして楽しく暮らしてよ」 と言ってくれているように感じました。お供えに持参した子供用菓子を詰めた二袋は居合わせた4人家族のお子さん達に差しあげました。別の親子連れは裏山へご案内しました。誰を責めるのでも無く唯々子供達の心を感じ取ってあげて欲しい。それだけです。

....この地は、今日の訪問を最後にしよう ここにはもう 子供達は居ない....

 大川小学校跡地は地域や関連する行政の未来へ向けて何かを検討する施設として、有効利用されるものと思います。今日は道の駅上品の郷 (じょうぼんのさと) で車中泊の予定です。時間があるので牡鹿 (おじか) 半島の方を見学したいと思って出かけましたがなぜなのか?上手く進めません。子供達が 「行ってはダメ」 って言っているのかな?。仕方無くターンして道の駅へ向かいました。雑なメモが残っています。

 『5/5は午後から上品の郷で何をするでもなかった。気持ちの持って行きようが無い。周囲をすこし歩いたが、暑くてその上これといって散歩をする所もない。夕方風呂に入った。その後少し気持ちを変えて明日からのいくつかの旅コースを考えてみた。エンジンをかけてエアコンを入れる。少しずつ気分が変わる。翌朝はすこし冷える予想。ベッドの工夫。エアマットの上に毛布をしき買い置きしてあった簡易シュラフをセットしてみた。すこしずつ気分が変わってきた。

 去年6月頃から準備を始めて今年3月末に自営業を廃した。同時に3月下旬、長年賀状交歓をして戴いた皆様方それぞれのお顔や印象に残っている事を思い浮かべながら、交歓を終えることを感謝を込めてお伝えする手紙を書いた。今年1月からHPの体裁を見やすいように整理し始め4月上旬にはやっと全体を完了した。妻の故郷鳥取県倉吉市へ報告がてら墓参に行きその足で続いて金比羅さんへお礼参拝に。そして、5月4日は5日の子供の日に合わせて大川小学校へ。余りにも多くの事を人生の区切りとしている為か?心の負担が大きい。
 
 でもこの様なことは誰にでもあること、それを上手く処理するのも一人の人間として為すべきこと・・・・・・。大川小では、出会った一家の子供さん二人に、お供えに持参した菓子を差し上げた。又、別の家族は校庭横の裏山土手の上へ案内した。シャボン玉を飛ばす女性については係 (伝承館の事務方) の人は見たことがないと言う。余りにも多くの事に対する自分なりの整理がこたえているのかな。』
  


6日(月)6:50 「道の駅そうま」へ向かいました
 相馬市へ行くのは昨夜決めました。この地には私の読書感想サイトに、タゴールの雨季の歌を記載しており、それがご縁でご自身の大きな苦しみの中 2011.06.15にメールを戴きその後何度かメール交換をしています。今回、様々な事柄に対してある意味での気がかりを整理する中で、大川小学校とそう遠くない場所で かつ 野馬追祭りで有名な土地を訪れるのも良いかなと思いました。道の駅にほど近い相馬中村神社を訪れ、夜は「道の駅つちゆ」で寝ることにします。
 ナビ任せで走っているといつの間にか立派な国道です。左には太平洋と地元の風景が広がります。ふと 「荒浜小学校」 の案内板が目に入りました。この学校は2011.08.07に孫娘 (当時七歳) を伴って見た記憶があります。この様な風景は見せておいた方が良いという私の考えからでした。車で入れる所まで行って右前方に見えました。復興は始まったばかりの頃でした。
 考える事もなく車をそちらへ。ここでは亡くなった子供は居なかったようで、今は使われていない校舎には
【ありがとう 荒浜小学校】 の幕が掛けられていました。帰宅後調べると、「二階まで津波に襲われたが、児童・教職員・避難してきた住民など320人の命を守った」 とあります。
 2011.08.07当時、松島の方まで車を走らせましたが、延々と続く残骸を積み上げた風景ばかり。孫娘は何も喋らず黙って眺めていました。格別には当時の事を話しませんが、この子にとって良い意味で、非常に大きくて大切な記憶だと信じています。
道の駅で暫く休憩の後、近くに在る相馬中村神社へ向かいました。神社のご夫婦がチェーンソーや軽トラで倒木の始末をしておられます。お子様も自転車で遊んでいました。暫く眺めていた後、直ぐ横にある広場で祭りをするのか尋ねたところ、ここから街道を馬で歩いたり車に乗せたりしながら南相馬まで行き祭りをするとのこと。実行は5/25~5/27。私は少なくとも今年は見る事はできません。神社へお参りの後土湯へ向かいました。
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、相馬中村神社

 相馬中村神社








 走り始めて、学校 (中学と高校併設だったかな?) を右に見ながらすこし進むと、同じく右手に大きく立派な木造の塀と裏門らしき構造が見えました。全体的にすこし傾いています。震災の時に被害を受けた事が想像できます。海岸近くで流されてしまった建物は私には想像できませんが、すこし離れて残されている建物を見ると、その揺れの大きさが伝わって来ます。メールを戴いている方もこの様な恐怖や無念を経験されたのかと思うと、安易にかける言葉はありません。
 道の駅つちゆにはお風呂はありませんのですこし手前で温泉を利用させて戴きました。
つちゆには17:15に到着。天気が悪く雨。景色も何も見えない。薄暗い駐車場に車は2~3台のみで昨日までの混雑がうそのような気がする。格別なメモも残っていないので何をしていたのか記憶は無い。寝る場所に着いたらラインで連絡をする事になっている。この場所の様子を連絡すると 「熊に注意」 の返信。22時に就寝。


 
7日(火)「道の駅つちゆ」 6:00 起床 雨   6:39 出発
 昨夜は8時間ぐっすりと寝た。やはり子供達の夢は見なかった。
子供達に負けないように私も自分の心と生き様をコントロールしよう。
今回は大川小学校へ行くことだけが本来の目的だったので、その後の行動は予定していませんでした。簡単に記載します。
7:24 道の駅磐梯 着  9:13 発
10:10 道の駅裏磐梯 着  11:20 発
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、桧原湖

 
桧原湖
 (雨の影響か ジワジワと水位が上がっているとの事)






12:35 五色沼入り口観光案内所 着  13:14 発
13:57 道の駅磐梯 着  14:05 発
15:58 将軍杉 着  16:17 発 
18:47 道の駅ちぢみの里おぢや 着 車中泊



8日(水)道の駅ちぢみの里おぢや 5:22 発

7:23 道の駅うみてらす名立 着  10:02 発
10:19 道の駅 能生 着  11:44 発
12:22 道の駅親不知ピアパーク 着  12:46 発
13:26 道の駅うなづき 着  13:39 発
15:56 道の駅庄川 着  18:18 発
18:22 庄川温泉となみ野庄川荘一萬亭 着  19:10 発
20:29 道の駅庄川 着  車中泊

9日(木)道の駅庄川 7:39 発
9:10 道の駅しらやまさん 着  9:49 発
12:20 かつやま恐竜の森 着  14:03 発
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、恐竜博物館

 
恐竜博物館






14:29 道の駅 禅の里 着  車中泊

10日(金)道の駅禅の里 7:56 発
9:31 永平寺 着  11:10 発
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、永平寺

 
永平寺






11:46 一乗寺浅倉公園センター着  12:31 発
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、一乗寺浅倉遺跡

 
一乗寺浅倉遺跡






12:47 一乗寺浅倉遺跡博物館 着   13:31 発
15:21 道の駅越前たけふ 着 15:25 発
16:06 今庄駅 着  16:22 発
17:33 道の駅湖北みずどりステーション着  18:42発
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、琵琶湖、琵琶湖夕景

 
琵琶湖夕景






19:02 あねがわ温泉 着  20:43 発
23:39 無事帰宅 身体の疲労では無く 精神的疲労がかなり大きい旅でした


*****************************

自宅から 一般道走行 天童経由 大川小学校 約840 ㎞
総走行距離 1901.3㎞
使用ガソリン 94.25 L
計算平均燃費 20.17 ㎞/L
メーターの平均燃費 20.8 ㎞/L
走行中最良燃費 23.7㎞/L
ガソリン代計 ¥15,576 


大川小学校の子供達に関するサイトを、下枠に 古い記録から順に ご案内します。

 74名の子供達が、行動すれば10分もかからずに避難できた筈の場所で1時間近くも待機し続けた。先生達も災害時の決まり事があり、学校も何かの折の避難場所になっていたらしい。どうするべきか急遽検討をされていたと思う。私は先生達を責める気持ちは全く無い。「先生、逃げよう!」 という子供もいたらしい。親が車で迎えに来て連れ帰った子供もいたらしい。だから
「こどもの日」 には 「でもだれもせめないでねおねがいだから」 という言葉 (唯一の私の言葉) 一行を加えました。
でもね、思いを寄せてあげて欲しい、あの時の子供達の表現の仕様のない心に...。できる事はそれくらいしか無い...。
あんな本こんな本、こども達、大川小学校、


三角形になっている禿げ山箇所に、全員避難できた筈の場所があります。
辛うじて足も濡れない高さにあり、校舎全体を見下ろす事ができます。
2016.05.05当日、付近を歩いていて偶然に立ちました。そして、
「何でなの?」 っていう思いが涙とともに 溢れつのりました。

当時の写真は30枚余有りますが非公開。この1枚だけ敢えて掲載します。
   詩 : 「こどもの日」



第Ⅱ分冊 トップ頁  【読書感想 目次】 から

祈り 2011年(平成23年)6月22日 
 「げんげと蛙 他」   福島の詩人 他  鎮魂と克服 そして再生の祈り 


第Ⅲ分冊 トップ頁  【気ままな車旅のわだち】 から
 ★2016年GW もクルマで東北をさまよってきました。
こちらからどうぞ  

 書いた筈(記憶)の出来事が、記憶違いか後日に何らかの思いあっての削除かで記載されていません。簡単にご紹介しておきたいと思います。
 5月5日の夜は道の駅つちゆで車中泊をしました。6日午前0時を過ぎてから高速道路へ入る(割引)予定でした。
その寝ている時、写真の校舎奥にある円形の花壇横で大きな子供が小さな子供(共に学年不詳)に向き合って、何かが原因で相手に指をさしながら注意をしている風に見える夢を見ました。
 私は5日の朝、「二三日お爺ちゃんと一緒に遠足に行こう、大丈夫、エンジェルもお婆さん(像)もお父さんもお母さんも叱らないから」 と心の中で話しかけていました。ですから きっと一緒に来たんだなと思いました。でもその時は、小さい子が可愛そうな気がして 「もう止めておき」 と夢の中で言うと、すっと消えました。しかし又暫くすると同じ夢を見ます。もう一度同じ様に注意すると消えました。その時点で起き上がって二本松ICへ向かいました
 翌日、富山のホテルで同じ夢を見ました。今度は 「そんなに喧嘩(注意)ばかりしているのなら、もうお帰り!二日間一緒に旅をしたし、もう良いやろう?」 そう言うと消えました。それ以来二度とその夢を見ることはありません。明瞭に記憶にある一場面です。その言葉を5月7日の一番最後の行に書いています。この夢を或る人に話したところ、あーそれはきっと○○ちゃんやねーと仰っていました。


第Ⅲ分冊 トップ頁  【サイクリングの思いで目次】 から
31  2017年4月28日(金)~5月2日(火)   四国 30番札所善楽寺から38番金剛福寺を経て宿毛市へ

 1番札所~29番札所と68番札所から88番札所の5日間は、2016年11月2日~6日に車で巡りました。写真はありますが記録がありません。整理の付かないその時の気持ちと内容から 敢えて書かなかったと想像します。


第Ⅲ分冊 トップ頁  【サイクリングの思いで目次】 から
32 
2018年4月28日(土)
~5月6日(日) 

四国 39番延光寺から67番大興寺まで・・・
子供達と一緒に巡ったみち
 


第Ⅲ分冊 トップ頁  【気ままな車旅のわだち】 から
★2019年GW の東北クルマ旅は書く事ができず掲載しておりませんが、心情はこのサイトから

 最後に「北上夜曲」を書いていますが、その上の7行ほど(2019年5月5日朝に大川小学校を訪れた時)が私の心の全てです。
これもその中には書いていませんが、今は、子供達は13回忌を過ぎて生まれ変わる為に旅立ったと信じて、書いても良いだろうと思います。
 当時、何処かを走って自由旅をしていたはずです(デジタル写真は残っています)。しかし私は何故なのか、5月4日には平泉からスッキリしない小雨の降る天候のなか厳美渓を経てとある温泉に行きその翌日5日には帰途につくつもりでいました。ナビに入力して向かいますが、途中の分岐点からどうも方向が変です。ナビの指す方向は太平洋へ向かっているとしか思えません。このナビは道を間違えると何かしらのコメントを発信します。しかし何も言いません。山中、途中の他家の庭先に停車して確認しますが、どう考えても違う方向としか思えません。その瞬間、「アッ!今日は5月4日 明日は5月5日子供の日」 と気づきました。
ごめんね!!通り過ぎて帰ろうとするなんて!....。直ぐにナビに大川小学校を入れて、道の駅上品の郷へ行くように修正しました。
 5日の朝に小学校へ着くと、紫桃様ご夫妻がお線香台付近 (上の写真・校門直ぐ脇) を掃除されていました。昨日の経緯や2016.05.05朝にここを訪れた時の事、そして当時の夜の夢の話しなどをしました。お聞きになっていた紫桃様は 「今日は雨が降りそうだったのに晴れました。人によって天気が変わるんです」 と仰いました。更にはこの学校の生徒であった愛娘様の事もお話下さいました。
 お別れしてから私は横の土手 (避難できたはずの斜面・上の写真に説明) に上りました。すると下にシャボン玉を飛ばしているお若い女性がおられる事に気づきました。 「シャボン玉」 の歌 (野口雨情作詞) の意味をご存じなのかな?と思いながら斜面を降りて近づいて行きます。凡そ10メートルほどの所まで近づくと、それまで新北上大橋(写真右方向)の方へ飛んでいたシャボン玉がワアーッと私の方へ飛んできました。女性は 「済みません急にどうしたのかな?風は無いのに」 と謝られましたが、大丈夫ですよ子供達ですからとねぎらいの言葉をおかけしました。シャボン玉の出迎えに心底私は嬉しかった。歌詞の真意はご存じとのことで、毎日のようにシャボン玉を飛ばしていると仰っていました。忘れられない朝のひとときのできごとです。