5月1日(金) 蟹田からフェリーで脇ノ沢、大湊、野辺地へ   66歳(もうすぐ67歳)
 「今日の具合はどうですか?」というご心配の声を有難く受けて出立しました。一旦JR蟹田駅の方へ向かいコンビニで昼食を仕入れます。 蟹田駅には「蟹田ってのは風の町だね」という太宰の看板があります。確か小説津軽に出てくる一文と記憶しています。しかし私は蟹田で風に悩まされた経験はありません。旅館で尋ねようと思いながら昨日の様な状態で聞き漏らしました。 後日 中村旅館さんに電話をしてお尋ねすると、季節にかかわらず海から吹いてくる強い 「山背の風」 と地元でよんでいる風の事を指しているらしいことが分かりました。
 但し、太宰の小説を読んでイメージするような 「常に吹く」 ものではなさそうです。 
あんな本こんな本サイクリング、JR蟹田駅、太宰治、風


2009.5.4撮影
 
 港で乗船手続のあと土産物コーナーで時間つぶし。「今できたてのシジミ汁です。一口味見をどうですか?」 という声に誘われて飲んでみると、うん、中々美味しい。以前、十三湖で飲んだときは随分薄味でガッカリしたけれど、これは美味しいですねと言うと、「青森では今、減塩運動をしているのでその加減かと思います」 と色々と気を使ったお答えでした。フェリーへの乗船は自転車が先で、船員さんが傷つかないように当て布をして固定してくれました。イルカの出てくるのを待つような気分にもなれず、何となく歓迎に表れないような気もしてほぼ船室にいました。下船しても多少なりとも付近を散歩する気にもならず、サドルに跨がります。
下北半島、脇ノ沢、鯛島、陸奥湾フェリー 





写真灯台の左は鯛島、乗ってきたフェリーも見えます。
 観光地ではないので右を見ると陸奥湾が見えるのみです。下調べのない国道338号線を大湊へ向けて走り始めました。
直ぐに小さなアップダウンがありましたが、幸運な事に追い風です。本日の気分・・・?ですか。上の写真奥へ進む下北半島右回りのルートを取らなくて良いという安心感と、どうしてあんなに苦しかったのかという疑問、歳のせいという自虐、計画通りに進めなかったという無念さ、不思議な気持ちですからこの背景色でしょう。それでも思わぬルートを走れるのだから、何か珍しい出会いか不思議な経験でもあるかも知れないと慰める。追い風なので時速30qは軽い。はかどります。あっ?そうだ、特定郵便局でなにか珍しい地方の切手があれば買って帰ろう!。(この辺りのトボケた切替が良いでしょう) そんなことを考えながら走っていると、陸奥川内郵便局に出会いました。川内っていう地名は宮本常一氏の本に出てきた地名です。局の前に自転車を止めて入ってみました。何か地方色のある切手はありますか?と尋ねると 「フレーム切手ならあります」 と。意味不明だしそれなりに疲れているのと旅行中は余り勘定をしないのもあって、じゃ、それを下さいと言って2シート購入。三陸復興国立公園というのと海上自衛隊大湊地方隊創設60周年の2枚です。5割増の代金でしたが、タオルやボールペンなど沢山のオマケもつけてもらい、その上 「自転車ですか?どこからですか?」 など関心をもって笑顔で応対して戴いたので、それは美しいお嬢さんでした。冗談は横に置いて、爽やかな応対でしたよ。
さてさて、いつか使うにしても記念切手を買ったし道路は走りやすく追い風。気持ちを新たにして大湊へ向かいます。大湊には海上自衛隊の基地があるのは知っていましたから船も見たい。今これを書いている時期 (明日2015.7.15には安保法案が強硬閣議決定される方向) 自衛艦を見たいと言うと叱られそうですが、それでも私は船が好きなんです。子どもの頃から船乗り (商船) になりたくてなれなかった淡く懐かしい思い出が消えませんので。 
      下は今日のルート
   陸奥湾を右に見ながら野辺地まで走ります
下北半島、脇ノ沢、大湊、横浜、野辺地、表示に時間がかかることがあります





 
航空基地の看板を見つけて、ここで昼食を摂ることにしました。ヘリや飛行機が発着している様子はありません。蟹田のコンビニから持参した弁当をゆっくりと、蟻にもお裾分けをしながら食べました。 
大湊、海上自衛隊、航空基地





 
町中を少し走ると斗南藩士上陸の地という看板があります。やはり「下北半島」を思い出しますので右折して立ち寄って見ることにします。船で移動 (移住) した人たちはここで上陸したらしい。彼等が初めてみる景色はもっと寂しく悲哀を感じるものだったに違いない。下写真の右奥には釜臥山が見えます。上から見る町の夜景がきれいだそうです。今日は登る気力がありません。
海上自衛隊の基地前に来ると若い門衛さんが立っているので、「きょう見学できますか?」と声を掛けると、「すみません平日なのでだめです」。少し残念。
 
斗南藩士上陸の地



 釜臥山
 



 斗南藩上陸の地 看板
 
珍しいモノでも無いかと思いJR大湊駅に入ってみました。女子高生が3〜4人と出張帰りらしき男性がいます。その男性が何やら木片を網の袋に詰め込んでいました。覗いてみると檜のチップです。良い香りがしています。お風呂に入れると香が楽しめるのでご自由にお持ち帰り下さいと書かれています。 一袋、二袋、三袋.........もう一袋!、と四袋を詰めました。女子高生達があんなもの何にするんだろうという感じでチラチラと見ています。心の中で、お土産です三軒で分けて使います。でも下北ならヒバが有名なんですよね。駅舎を撮っておこうとしていると、タクシーの運転手さんが 「シャッターを押して上げましょう」 と親切に声を掛けてくれました。自分の写真は欲しいと思わないのですが、折角のご親切ですからお願いしました。何度かシャッターを押してその都度確認しますが、「あれ?画像が無い」。やっと撮れたのが下の写真です。後ろの駅舎には 「てっぺんの終着駅」 の看板があります。変な表現だと思っていると、上の地図でおわかりいただけるように本州最北端の駅は一駅手前の「下北」が僅かに北なのでこう表現しているらしい。終着駅のプライドも大変ですね。 
JR大湊駅


 
運転手さん達の話では野辺地までは車で2時間ほどだから50q位かなあとのこと。アップダウンも続くらしいので50qなら3時間くらいでいけそうです。走り出して町中を過ぎる頃から延々とアップダウンが続きます。きのう程の苦しさは無いので楽ですが、それなりに大きなアップダウンがほぼ連続しています。我慢我慢、練習だと思えば辛くない。横浜町にさしかかると菜の花が一面に咲き誇る場所があります。更に奥へ進むともっと広い畑があるようですが、気力はここまで。 
横浜町、菜の花畑





 
宿泊予定の豊楽さんは地図で見ていると国道279号から少し入った処にあるようなので、通り過ぎると面倒なので確認の電話を入れました。「今、国道の吹越というバス停から野辺地方面を見ながら電話をしています。」 というと 「そんな方向へ進むと六ヶ所村へ行ってしまう」 との答え。「ええー、そんなはずは無いと思いますがねえ。間違いなく野辺地へ向かって走ってきましたから」 とまあ中々噛み合わないやり取りをしてから、教えられたとおりにインターファーム横浜農場を左に見ながら走って到着しました。
玄関を入って声をかけますが誰もいません。仕方がないので上がってフロントから声をかけますがやはり応答なし。身の置き場に困り、携帯で電話をかけてみました。先程の女将さんが出てきてやっとご対面です。初めての経験でした。お茶を戴きながら座っていると若い男性が 「ただいまあー」と帰ってきてフロントの中に手を入れて部屋のキーを取り出しました。「勝手知ったる他人の家ですね」 と笑いながら言うと、どうやら2年くらいここで寝起きしているらしい。私にすればこういう人に出会うのも初めての経験。話を聞いていると、福島県伊達市 (確かそう言ったと思う) から赴任してきていて、広大な敷地 (数q四方) に太陽光発電パネル設置作業に従事しているという。月に一度帰省していて、明日出発するらしい。私の、震災後に宮城県の閖上地区で線香を手向けた夜のラップ音の話から、遠野物語は私は少し 「?」 なんですといったとりとめのない会話をしていました。若い女性も何人かいたが、彼女等はインターファーム横浜農場で肉の捌きに従事していると言います。女将さんの話では、玄関に積み上げている大量の宅急便荷物は、十年近く単身赴任で居た人が任務終了で晴れて帰宅するらしいのです。みんな自分の家と同じですよとのこと。ふーん!知らなかったなあこういう世界を!、こんな具合にがんばっている人たちを。お風呂は部屋にもありますが、1階の大浴場を利用しました。ここの部屋は長期滞在向けで洗面所・バス・トイレの作りが本当に家庭的な雰囲気で良くできていました。
    さあ、今日はゆっくり寝て明日は付近を自転車でぶらぶら回って見よう。
 
  

  4月30日へ戻る      5月2日へ続きます


        VolV.トップ頁    
     Vol.U トップ頁   Vol.T トップ頁