《私の本棚 第195》   平成25年5月号

    「下北半島」----私の日本地図より   宮本 常一 著

 昭和42年11月、同友館発行の 「私の日本地図3--下北半島」 を基にして平成23年に未来社から刊行されたものを読みました。
私は昭和23年生まれですから、著者が歩かれたのは私が未だ中学生にもならない頃も含まれています。この本を読みながら私は当時の自分の住む周囲や環境を思い浮かべていました。貧乏人も金持ちも目立って大きな違いは無いように感じる状況でした。お金持ちの家も、カネがあるからと言っても買うモノが無い。まあ精々その家の子供はピアノを習っている程度の差でした。少なくとも子供の目にはそう見えていました。
 この本を読んでいると当時の入植開墾者の厳しい状況、国の政策に振りまわされる様子がよく分かります。しかし、文章の中には 「辛くて嫌で嫌で」 と言うような開墾者の言葉は出てこないのが救いでした。救いと言うより、人は皆昔から 「住めば都」 の言葉どおり何かしら明るく元気であったのかなと感じます。本州から見れば最果ての地になりますが、函館から見れば小舟で渡れる指呼の距離で、新しい文化の風を早く受けることができたようです。廻船業者も木材の積み出しに多数寄港しており、賑わった時期もあったようです。昆布やワカメがよく獲れた時期は、家の家族人数によって漁獲高が決められていたので津軽から沢山の子供が養子にもらわれて来ていました。津軽も陸伝いでは遠方ですが、陸奥湾の海路ではお隣です。中でも印象的だったのは、嫁をもらうような年齢の男に、回船業の男が 「嫁を世話してやろうか」 と訊きます。言われた男は二つ返事をしたもののあまり期待していなかったのですが、ある日山仕事をしている所へ男が来て「嫁を連れてきたぞ。今、家に居るから」 と言います。帰ってみると見知らぬ女が立ち働いていました。それでそのまま夫婦になるのですが、何十年も仲良く連れ添ったと言うことです。まるで昔話の世界そのままです。厳しい生活環境の中の安堵と幸せを感じます。
 後書きの中で著者は、僻地旅行者は僻地の古風だけが強調されて都会人の地方人に対する侮蔑と自身の優越感を楽しんでいると書かれています。その様な向きが無いとは言いませんが、少なくとも私はそんなつもりは無いと断言します。厳しい環境下でどう耐えてどんな幸せを感じておられるのか、人として一個人として知りたいという思いがあるのみです。
 
北山崎、あんな本こんな本






 北山崎 

下北とは無関係です)


 
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