《私の本棚 第207》   平成26年5月号

     「飢餓海峡」  水上 勉 作

 昭和38年作。この題名はTVのモノクロ映画の一場面がぼんやりと記憶に残っていました。「残っていた」 と過去形なのは、読書中のイメージが記憶と混ざり合って曖昧になってしまったからです。それでも映像は人間のギラギラした欲望を表現していたように記憶し、かなり強いインパクトがあった事は確かです。
 舞台は昭和22年9月ニセコの西、岩内から函館、下北半島の仏ヶ浦、湯野川温泉、畑、大湊さらには東京や京都の舞鶴に及びます。出版当初、推理小説としてはすこぶる評価が低かったらしいのですが、私は社会ドラマ的な読み物として面白いと感じます。

 岩内の大火 (昭和29年9月26日、焼失戸数3298戸、死者35名) と同日に発生した青函連絡船洞爺丸の転覆事故 (1155名死亡) をヒントに書かれたものです。戦後のモノ不足をよく表しており、その意味において自分の子ども時代と重なって懐かしさもありました。刑を終えたとは言え、まともな金も持たず着の身着のまま敗戦後の社会へ放免された者が飢えに苦しみます。その中で更なる犯罪に手を染める様子を淡々と表現している様にも思えます。
 飢餓海峡とは、飢えに苦しみ大罪を犯しながら渡った津軽海峡を指しているのですが、仏ヶ浦はまさしくその舞台としてうってつけであったように思います。因みに昭和15年頃の下北半島について書かれた宮本常一氏の本がありますが、その中に写真も多数収録されています。港によっては繁栄したところもありましたが、仏ヶ浦や畑などは今では想像もつかないような厳しい生活環境であったようです。幾人もの殺人を犯した樽見京一郎は津軽海峡を小舟で渡り、過去を消して舞鶴で大成功しますが、捉えられて函館へ自分所有の貨物船で護送される途中、その津軽海峡に身を投げて最期を遂げます。彼にとっては相応しい場所で、ある意味でまさしく飢えたままの最後でした。
 
仏ヶ浦、下北半島、あんな本こんな本





  仏ヶ浦
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