《私の本棚 第345》 令和6年10月29日 号 「別 れ」 網野 菊 作 |
何か目線が変わる・気持ちの切替が出来る短編を読もうとして先ず目についたのが野上弥生子81歳作の「哀しき少年」でした。しかし何かしらしっくりと自分の気持ちに入ってこない。仕方無く頁を繰るとこの作品に出会いました。 格別に不仲では無い一郎とよしのですが、夫の生まれ故郷に引っ越す気持ちが起こりません。今くらしている東京でなら、一郎の親兄弟達と一緒に暮らすこともできると思います。しかし夫の故郷で暮らすことは「嫁」という立場が重くのし掛かってきます。幼い頃から継子育ちで、人の気をうかがってばかりの生き方をしてきました。子供の無いよしのにとっては余りにも味気ない生活を想像させます。夫は自分達の生活費と親兄弟の生活費一部負担をどうにかしたいと考えているのでしょう。 ある日一郎は 「くにへ帰って来る」 と言い出しました。よしのは 「ああ、とうとうそう言いだした」 と思いましたが、「どうも仕方がない」 と諦めます。翌日一郎は東京駅から列車に乗ります。一郎は好きな海が見える席を確保しました。よしのは車内について入りすこし言葉を交わします。一郎は 「お前も来ればいいんだ」 と言います。しかし 「それではこのままついて行きましょう」 と言うほどの気持ちは起こらず、汽車を見送りました。一郎はもう戻ってこない。張り詰めていた心が突然ゆるんで身体のしんがぬけたような気がしました。はた目ではしっかり歩いているように見えるでしょうが、心の中はなにもありませんでした。 作者は彼女の人生において両親の離婚、それに続いて二人の継母と死別後三人目の継母と生活。度重なる父親の再婚によって継子として成長してきました。睡眠薬自殺をはかったこともあるようです。そこから厭世観・虚無感や諦念を心の底に秘めて作家として生きてこられました。どんなに苦しくても諦めて仕舞わずに努力を続ければ、いつか日の当たる事もあるということですよね。 しかし頭脳は明晰で、父親のすすめ (いつも少しタイミングずれ) で大学を出ておられます。道を踏み外すことなく作家になり、軽やかではないが重苦しさも左程感じない筆運びの作品になっています。この作者以外には書けないと感じます。書かれた年代は正確には分かりませんが1938年頃ではないかと推測します。 |
錦湾 |
美保関(みほのせき) |
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