《私の本棚 第209》   平成26年7月号

     「大きな問題と小さな問題」      徳永 進 著

 「図書」 の2014年5月号に掲載された随筆です。氏は医師ですから、他の職業に就く人とは異なるタイミングで異なる見方に気づく事があるようです。

「発熱」
 92才の男性の往診を重ねていたある日、「もう良いです。生きていると息子達にも迷惑がかかる」 と口にし始める。発見された癌も本人の希望で治療せずに経過観察。転移も見られる。ある日ケアハウスから電話で 「発熱で食事が摂れない状態」 とのこと。点滴と抗生剤投与をして数日後、「だいぶ楽になりました」 と嬉しそうに笑ったという。肺炎は無く咽頭炎だった。

「便秘」
 重大な癌を抱えた女性患者が「便秘で辛い」言う。下剤や浣腸を指示しても出ない。看護師が指で便を取り出したら、「楽になりました。ありがとうございました」 と明るい笑顔で言う。

「歯」
 似たような話で、70歳代の元内科医。末期癌をどのように伝えようかと思い巡らしていると、「先生、私も医者でしたから多くの死を看取ってきました。今度は私が死ぬ、それはいいんです。でも、この歯が痛むんです」。 死より歯が先決ということらしい。

「しゃっくり」
 胃癌の巨大肝移転で在宅ホスピスをする患者がいた。近いうちにやってくる死については、静かに受け入れる準備を整えていた。夜、奥さんから電話で、ご主人 (患者) のしゃっくりが止まらないという。ネットで探して、色々と民間療法を試したが止まらないと途方に暮れた様子。横隔膜の収縮を抑える処方をして収まったが、しゃっくりは重大な問題だった。

 日頃脳の働きを大きく捉えている。意思、覚悟、決意、受容、祈りなど、死を覚悟しなければならない患者を前に、大きな問題として患者との接し方に医師も苦労をしている。しかし、比較的簡単に治療できる喉、便秘、歯、横隔膜の収縮などは小さな問題としか思っていなかったことが、以外にも大きな問題として患者の前に登場してくる事を知ったと言います。
 この患者さん達に似た経験を私自身がしました。昨秋、10日ほど激しい頭痛に苛まれ続けました。激痛が襲う度に左右どちらかの顔面が引きつります。発症のタイミングからして、腰痛と肩こりであると自己診断していました。普通の頭痛ならよく効くB錠は効かず、更に効くR錠も効かず、妻が持っていた 「これなら絶対効く」 という処方薬も全く効果がありません。勿論、食欲は無く体の機能も低下、何で?と思うような副症状も出てきます。耐えきれずに最期にはMRIを撮ってもらいましたが幸いにも脳内は異常なしでした。次第に思考力が低下し、仕事を続けられ無くなるのではないか、人に迷惑を掛けるのでは無いかとの思いの中で、人生本当に最期を迎えるような時期にこれほどの苦痛を感じたら、死ぬことよりも頭痛のほうが大問題だろうなと思っていました。   氏の「反対言葉の群生地」はこちら


 余談ですが毎年GWには自転車で旅をするのですが、東北地方を周遊する計画は全て完了しており体を慣らす練習も進んでいました。11月には宿泊予定のホテルに順次予約を入れる直前でした。しかし、とてもそれどころではありません。今は少し落ちつきましたが年末の大掃除に合わせて大量のモノや関係をも整理しました。(不義理を顧みもせず、お許し下さい) 「断捨離」 という言葉をこれほど意識したのは初めてでした。幸いにも今年のGWは、自転車で走る計画のコースを車で 「みちのく独り旅」 を10日間楽しんできました。この時の旅日記は後日公開する予定です。

           また是非お立ち寄り下さい。
 
下北半島、恐山、あんな本こんな本




 開山二日目の

 恐山風景

 
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