《私の本棚 第169》   平成23年4月号

    「華 燭」  舟橋 聖一 作

 昭和26年作、披露宴でのテーブルスピーチを扱った作品ですが、文句なしに面白い。私なぞはスピーチが苦手ということもありますが、そんなものは長々とやるものではないというのが信条です。しかしいますよね、「スピーチと○○は短い方が良いと言いますが」 などと前置きしながら、大して面白くも無いスピーチを延々とやる人が。得てしてこういう御仁は長く話さないと自分の価値が下がるような錯覚を抱いておられるように思います。れっきとした文学作品を読んで、思わず声を出して笑った作品はこれ以外には記憶にありません。

因みに中山義秀作の華燭はこちらです。

 披露宴に出席した私、日熊は、突然 (実は予て予定どおり) 指名されて祝辞を述べることになります。しかしこの祝辞の内容は、長いとか下手とかいうものを超えてあり得ない内容と長さになります。詳細は皆様がお読みになった時の楽しみにしておきますが、他の列席者は、シンと水を打ったように静まりかえったり、「つづけてやれ!」 と囃したり、「つまみ出せ」 と怒鳴るものがあったりします。その合間には、ボーイが早めに切り上げて欲しいというメモをもってきたり、挙げ句の果てにはボーイ長が無理に降壇させようとしたときには、私は彼の胸を小突きます。
 いつの間にか新郎新婦は居なくなりますが、スピーチは更に佳境に入り熱を帯びてきます。(ここからが最高に面白い)
やっとスピーチが終わったときは、会場に人影亡く、シャンデリヤの灯も全て消えていました。スピーチは何のためのものかとか、周囲の状況には委細構わず、自分の心にのみ忠実に進めます。エゴもここまでくると読み手には笑いを誘います。まるで一幕の劇場劇を見ているような気分になります。実際に演劇に仕立てれば観客は大喜びすると思うのですが。

舟橋聖一の母は現在の古河機械金属創設時の理事長近藤陸三郎氏の長女です。少年時代は病弱で舞台劇を見に連れて行ってもらう事が多かったようです。そんな経験がこの作品を作らせたと言えそうです。 
地蔵院の桜、あんな本こんな本 



 地蔵院


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