《私の本棚 第221》   平成27年6月号

     「華 燭」      中山 義秀 作

 昭和23年作。同じ題名小説に舟橋聖一の作品 (第169号でご紹介、昭和26年発表) がありますが、こちらはかなり趣が異なります。
舟橋聖一も中山作品を読んでいたかとは思います。舟橋作品は思わず笑いがこみ上げてきますが、中山作品は人生の難しさや親子関係を考えさせられます。
 父、山崎は男手一つで健と縹 (はなだ) という娘をそだてていました。娘が十七になると縁談も持ち上がり、なれない支度をしています。しかし山崎はこの縁談を断ります。縹は時代もありますが父親の言葉は絶対という育ち方をしていますので、これまでと変わらない生活を続けます。この頃、学徒出陣をする学生が山崎宅に一時寄留をするのですが、縹はこの中の一人を密かに想うようになります。この辺りの父山崎の心境が綴られています。

---山崎は愛が自然に成立するなら自分は反対しないと遁げた。結局最後の決定は娘の選択にまかせるよりほかない。鳥獣でも相手を選ぶように娘も自然の資質にしたがって適当な相手をえらぶであろう。それが彼女の運命となる。山崎は旅路で縹の母と遭ったとき一瞥して胸をとどろかすものがあった。彼はそのつながりにみちびかれて盲人のように彼女の生家をたずねて行った。それを宿世の縁とよぶのかもしれない。しかもその宿世の縁に結ばれた者がはたして幸福かどうかは分からぬ。山崎の場合はそれはむしろ不幸に終わった。しかしたとえどんなに不幸だったにしろこれこそがわが妻だと思う女をこの世に見出しえた喜びに換えうるものが他にあるだろうか。---

 この一文は作者の自伝的回顧と思われます。愛しい女を妻にしたが、自分の身勝手で教師という職をなげうって文筆業を目指した自分。10年余りは食うに食えない時代。その間に子供三人が次々に病死。妻までも病で亡くします。残された二人の子供は自分の実家に預けて養育。此処に、計り知れないほど強烈な悔悟の念と、人生は人皆それぞれ自分自身のものであるという揺るぎない信念を読み取ることができます。言い換えれば信念ではなく、自分自身にそう言いきかせなければ自分を保てなかったのかも知れません。21歳になった娘縹は遂には父親の呪縛を断ち切って想い続ける男性のもとへ走ります。

縹は辞典を引くと 「薄い藍色・空色・萌葱色」 などと出てきます。作者の心境を抜けるような青い空に例えて、後悔 (雲) 一つない人生であったと重ねて思い込もうとしているようにも思います。
 
三重県、蓮ダム付近、あんな本こんな本





 三重県

 蓮ダム付近


 
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