《私の本棚 第316》   令和4年5月10日 号

          コルニーユ親方の秘密」
          風車小屋だより より   ドーデー 作

  例によって書店をぶらついていると、文庫本コーナーで目に付いたのがこの一冊でした。何となくのびやかな雰囲気を漂わす書名に引き寄せられました。この時は作者の名前は懐かしい響きの記憶にあるものの、 「 最後の授業 」 には結びつきませんでした。 年の所為ということにして笑って過ごしましょう。 風車小屋だよりは小編を集めたもので、集録順序が意図的であったのかどうかは分かりませんが、読み始めてまもなく 「 コルニーユ親方の秘密 」 を読み進めたとき、これは名作だと直感しました。 風車小屋だよりとはされていますが、作者が南仏の使われていない風車小屋を購入して、そこで毎年一定期間を過ごす間に執筆されたものが集められています。作者の父は生涯幸運には恵まれ無かったらしいのですが、ドーデー自身も教師をしていたものの言うことを聞かない生徒達に嫌気がさして転職、運に恵まれて作家の道に進んだようです。この流れは何となく漱石に似ているとも言えますね。勿論、漱石は選択に大決断をしていますからそこは異なります。しかし作者の生い立ちが作品に影響を与えていることは事実でしょう。
  かつてこの風車では時代の流れをもろに受けて、繁栄から没落、その後村民の親方に対する暖かい支援でコルニーユ親方が元気を取り戻して生涯を終えます。繁栄時は十里四方の農民が引きも切らさず麦を持ち込んで粉ひきを頼んでいました。それはにぎやかで楽しそうな風景でした。有る頃、近くに製粉工場ができると、次第に農民はそちらへ麦を持っていくようになり、風車小屋はさびれて行きます。それでも親方はプライドを失わないように必死でそれらしく装っています。ある時ひょんな切っ掛けで、親方がとんでもなく困窮している事が知られてしまいました。状況を知った農民達は、またかつてのように風車小屋へ麦を持ち込みます。親方は心から楽しく人生を満喫して生涯を終えます。
  この小品は人の一生を、楽も苦もあり自分の事だけでなく身近な人に対する思いやりも忘れない。時代の流れと共にさびれる仕事があればその一方で栄える仕事がある。しかし、何々をしてやっているという態度では無くそれとなく手を差しのべる。支えてもらっている方も、感謝でへりくだるのでは無く、それを忘れずにいながら明るく暮らす。読者も心が温まり作品の中に入って行くことができます。
  この作品を読んでいてふと気づいた事があります。当然なのですが、訳者の桜田佐 ( たすく ) 氏はどのくらいの時間を掛けて翻訳をされたのか。フランス語の表現にはこのような日本語に対応する言葉や表現があるのか?。いや、恐らく無いだろうから訳者の努力と日本語の力であろうと思いました。読んでいて心がほだされる文章でした。 「 アルルの女 」 が集録されていますが、後にビゼーが作曲し戯曲として発表されて有名です。私が取り上げたコルニーユ親方以外の作品は穏やかな語り口ではあるのですが、なにかしら重たくて読後感も気持ちはすっきりしませんでした。

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  感想文は多少脱線しますが、昨日( 2022.05.09 )ロシアではプーチン大統領指揮の下 「戦勝記念式典 」 が行われました。ネオナチ主義者勢力との戦いであると述べています。かつて第二次世界大戦の時代には確かにヒトラーが率いるナチズムとの戦いがありそれに勝利しましたが、現在行われているロシアの行動はヒトラーと変わらないような状態になっています。京都新聞 (2022.05.06 朝刊 12面) に 「ロシアとウクライナ千年の”兄弟”関係複雑」 と題した記事がありましたが、何故21世紀の時代に この様な行動を取るのか?ということは理解できません。確かに平和は座して待っていても手に入れることは出来ないと思います。
小学校の教えで 「友達百人できたかな」 というのとは異なります。日本は文字通り、有り難いことに1945年以来、一応、平和の状態にあります。私も48年以来その平和と共に生きてきました。日本は大いなる発展もありました。冬は炬燵に入って一家団らん、夏はエアコンで涼んだり家族旅行したり出来るのは正に平和のお蔭です。然し現在の状態は世界の歴史を見ても極めて希な事であると知る必要もあるのではないでしょうか。僕たちは (日本は) 誰とも仲良く友達で居たいから苛めないでね、と言えば仲良く友達百人できると思うのは幻想ではないでしょうか?。ではどうすれば良いのか、どんな備えをすれば良いのか? 確たる答えは私には分かりません。しかし国を動かす政治家達やトップ集団は私利私欲にどっぷりと浸かり込んで居て良いはずはありません。大きく広い視野を持って、十人十色・万人万色・億人億色の世界を踏まえて、備えつつも共に発展出来るような思索や検討が為されるべきでしょう。プーチン氏のような行動をとれば、手に入れた権力は更なる権力を求め、金を手に入れれば更に金を欲する人間の見本であるかのように見られても仕方ないでしょう。因みに世界地図を左へ45度ほど回転させると周辺国の日本への視点も幾分かは見えないでしょうかね。
  作者のドーデーは反ユダヤ主義者として有名だったようですが、それは作品 「 最後の授業 」 のような状況を経験したからではないかとも想像します。しかし自分の正しい信念と表現を弁えた 「 筆 」 は暴力にはなりません。多くの読者が各自身の信念で判断をしてくれます。良いものは残りますし悪しきものは消えます。他国へ軍事介入と称して攻め入るなどと言うことは絶対に許され無いことと思います。
 
 
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 島根県 美保関灯台

 前方には隠岐の島

 (隠岐の島へは一度だけ友人と旅行しました。この日は条件悪く見えませんでした)












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