《私の本棚 第289》   令和2年5月5日号

    「生きている兵隊」    石川 達三 作

 昭和13年3月中央公論から発行。作者は昭和12年に中央公論社から特派員として戦地の中国に派遣され帰国後執筆。 「実戦の忠実な記録ではなく、自由な創作を試みたものであり、部隊名、将兵の名は多く仮想のものである」 と最後に付記しています。しかしこの作品を掲載した中央公論3月号は発行と同時に発禁処分になりましたが、終戦後の昭和20年12月には河出書房から刊行されました。発禁処分後の裁判では、占領地放火・老婆から牛を奪うなど不法や残虐の場面を指摘され有罪判決を受けています。作者は、出征兵士を神のように考えている国民の誤りを打破したかったと陳述したようです。
 登場する士官や兵士は医学生や僧侶も登場します。皆初めの頃は死を恐れていますが、余りにも多くの敵味方の死体を目の当たりにすると感覚も麻痺。野営する時には敵の死体を積み重ねて風よけにしたり枕にする。原則として物資の調達は対価を払う事になっているが、時には老婆から牛を調達 (奪う) するときに、泣いて懇願されても何ら気に留めることも無い。外地が戦場となっているわけで、時には目前の住民が敵兵士か否か判断できないことも多い。怪しいとなれば拷問も辞さないし銃や刀で命を奪うこともある。一方で民間人の女性から拳銃の発砲を受けて死亡することもある。自らの死も取り立てて考える事も無い。それが戦争と言うものであり、兵士は決して神ではないということを表現したかったのでしょう。
 私も子供の頃聞いた話を覚えています。仮に当時10歳だったとしても、未だ戦後13年の頃です。死体がごろごろと転がりウジ虫が湧いている場所で、飯盒の飯を格別な思いもなく食べていたということでした。当然ですが戦争はきれい事では無く、平時の時代からみれば狂気です。この作品はそれを良く表していると思います。人はほぼ皆、元々の職業に拘わらず極限に遭遇すれば変わるということでしょう。
 昨年12月、中国で発生したコロナウイルスは世界を蹂躙しています。見えない敵と人類の戦いです。沢山の人々が倒れて逝きました。私も此処10年ほどのゴールデンウイークには自転車や車で様々な場所を訪れてきました。計画をしている時点ではさほど大きな問題にはなっておらず、今年も何処へ行こうか、なるべく有名で無く人出の少ない行った事の無い場所はどこか?車内の寝床は不器用ながらそれなりに上出来などと地図を見ながら楽しんでいました。しかしそれは叶わず、来年か悪くすれば再来年の楽しみになりました。100年に一度経験するかしないかの大変な時代です。他人にウイルスを伝染させないよう、更には他人のストレスを増大させる事がないように、自分自身を上手くコントロールするしかありません。お互いこの難事を乗り越えていきましょう。 
あんな本こんな本、君子蘭



 君子蘭 

 花言葉は「高貴」
 「誠実」「情け深い

 
 
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