《私の本棚 第364 》 2026 令和 8年7月1日号   (青少年達へ)

 「 つたなさの方へ 」  (その2)  那須 耕介 著
 
 
⑥【謝らない人】

 著者は法哲学が専門です。もしも取り上げるのが裁判若しくは和解の場であれば、謝りなさいという状況なら謝るでしょうし、それが斟 酌(しんしゃく)されもすると思います。しかし一般的な日常生活において、余程(よほど)の事でない限り 「 (俺に) 謝れ! 」 と言っても相手は素直(すなお)には謝れないでしょう。何でお前が百%正しいのか?と感じるのが普通だと思います。
 仮に裁判の席でなくても、似たような状況なら話しは少し異なってきます。AとBが口げんかをしている(かたわら) に甲が居たとします。甲がその様子をジッと見ていた結果、(おだ)やかに 「A君の言うことも一理あるけれど、どちらかと言えばB君の方が正しいと思うよ。だからB君に謝った方が良いよ」 と仲裁(ちゅうさい)をするなら、Aは謝るでしょう。しかし甲が居ない場であったなら、BがAに対して謝れと言っても解決しないばかりか、AとBの関係はそこで永遠の別れになりかねません。もうお前とは関わりたくないと。
 仲の良い関係であっても、一寸した言葉の行き違いから関係の断絶もあれば、一層の親密さに変わる場合もあり得ます。謝って欲しいと思う人は、「謝れ」 では無く慎重に言葉を選んで口にする努力と思考がとても大切だと思うのです。私も中学生の頃に似たような記憶があります。

 
⑦【「忘れたこと」はどこに行ったか?】

 私もいつの間にか歳を重ねてきました。自分ではそうとも思っていないのですが、一般的には老人と称されるのでしょう。ついさっき置いた物の行方をキョロキョロと探してみたり、昨日食べた普通のおかずを思い出せなかったりすることもあります。そのくせ、何十年も昔の出来事を比較的明瞭に覚えていることも沢山あります。
 良い思い出は、年月とともに少しづつ大(くく)りになってボンヤリと心地よいものになります。しかし(いや)であったり(つら)いことは次第に消えます。思い出したくないからでしょう。
 これを書いていて突然思い出したことがあります。寒い季節でした。歩道橋横に薄着で震えながら立って 「お金がないんです恵んでください」 と言っている年配男性がいました。その手の商売か(いな)かは容姿を見て分かります。私は歩きながら、少し躊 躇(ちゅうちょ)の後千円だったと思いますが彼に渡しました。丁 寧(ていねい)なお礼を口にされました。歩きながらそれでも心が落ち着かず、妻に 「何か安い上着でも買ってあげようか」 と言いました。結果的にはそれはしませんでしたが、ほぼ忘れていた出来事です。
 個人差はありますが、あと十年余りもすると私の過去の記憶はどんな風に見えるのでしょう。そして最期に残る記憶とはどんなものでしょうか。走馬灯(そうまとう)に現れる記憶は何が見えるのでしょうか。見てもこの世ではお伝えはできませんが。  

⑧【羨望(せんぼう)嫉妬(しっと)

 著者は自分の身なりについて述べられています。私は子供の頃からそういった事について気にしたことがほぼありませんでした。つまりどんな身なりがいいかなと思って自分で服を購入した記憶はありません。(ただ)、靴だけは気持ちに変化を及ぼしました。私は医師お墨付きの扁平足(へんぺいそく)。あるとき妻にこれどう?と買ってもらった革靴が、足に馴染(なじ)んできた時に、いいツ! と思いました。それでも変な意味で他人の足下(あしもと)を見るとか服装を見る事には感心が薄いのです。なぜかな?と考えていると、小学三年生の時だったと思いますが男先生がこんな事を話されました。
「服やズボンが破れていてもかまわない、ちゃんと()ってあったらそれでいい」 と。私は当時、この話は教室の誰かの事だなと思いました。そしてその子の為にこんな話をされたんだと。私は戦後のベビーブーム世代です。お金持ちもそうでない家も生活そのものは似たようなものでした。担任先生の話を聞いたとき、そのとおりだなと思った事を覚えています。
 それが都合良く心の深い所に()みついているのかどうか分かりませんが、今もって妻から服装の色合いや組み合わせに注意されることがあります。まるで子供です。しかし
⑦「忘れたこと」 で書いた路傍(ろぼう)男性の心を想像すると、先生が述べられた人生の荒波の一文は極めて強く迫ってきます。
先生は次のように書かれています。
「自分の思うままに生きられる人などいないのだから、その人の身なりには当人の選択だけでなく、甘んじなければならなかった苦労や挫折(ざせつ)、断念のあとがそれとなく
- - -ときには無残なほど克明に- - -刻み込まれている。」

 
⑨【(まり)(かめ)   2020.9.14(月)京都新聞夕刊 「現代のことば」 掲載

 鞠は元気溌剌(はつらつ)の子供心、甕はそんな元気さは無いがどれほど困難な状況でも全て受け入れるという老練(ろうれん)さ。しかし老練さを秘めている筈の年齢になってもそう簡単ではありません。ヒョッとすると諦念(ていねん)が他人には老練と見えるのかも知れません。
 私は少年の頃から新社会人の時代にかけて、船員になりたい思いと闘い続けました。その結果は甕の中でしょう。社会人となってからも人並みに様々な心の葛藤(かっとう)を持っていました。これも今は甕の中。病気も幾つか経験しました。数えてみると、― ― 胃・十二指腸潰瘍(かいよう) ― ― 帯状疱疹(たいじょうほうしん) ― ― 腎臓(じんぞう)・尿道結石 ― ― 狭心症 ― ― 目まい ― ― 。潰瘍はピロリ菌除去済でもう入院の心配は無し。帯状疱疹は薬代の高さに驚いたが何ほどの事もなく快癒(かいゆ)。結石は余りの痛さにへたり込んで何日か入院治療。もし再発しても原因は直ぐ判断できる。今年4月26日の目まいは内耳石がはしゃぐのが原因。発症時 (朝の起床時) は天井景色が360度急速回転したり、左右に勢いよく大振(おおぶ)れするので歩く事さえ困難。吐き気もするしトイレへ行くのも一苦労。薬を服用し指導されたように寝方を工夫中で、治まりつつあります。狭心症は、2021年エイプリルフールに太いステントを2本、翌年には細いものを3本入れたので少しは安心。でも充分な注意が必要。しかしそうは言っても格別な強い自覚症状が無い時に、あれこれ心配できない。処方された薬を忘れずに飲み、酒とグレープフルーツジュースは絶対飲んではいけない。使用したことのないニトロペン舌下錠を常に持ち歩き、若し使用した時は直ぐに救急車で来なさいとの指導。知り合いの方で、さっき迄普通にしていたのに突然倒れて()って仕舞われた方が二人おられます。どちらも自宅内でのことでした。或る意味では他人に迷惑をかけなかったということで、「終わり良ければ全て良し」 と言えなくもありません。今の私の気持ちは、年齢もそれなりだし、十年余り先にこのお二方のようで有ればそれはそれでと言う不思議な思いです。漱石の 「吾輩は猫である」 を思い浮かべます。

このテーマが掲載された一年後の9月7日(火)53歳で逝去されました。那須耕介先生は自分の体調を知った上で書かれたとも想像します。しかし穏やかな文章です。

 
⑩【悪 筆】

 自分は悪筆であると述べられています。実際に書かれた文字をみたことはありませんから何とも感想が湧いてきません。しかし世の中で書道と関わりの無い仕事をしていて達筆(たっぴつ)と呼ばれる人はそう沢山はおられないのではと思います。ひどいくせ字でなかったり読みやすい文字が書ければ良いようにも思うのです。しかし新聞掲載の半紙に書かれた筆文字で、えー!これが園児や小一の書いたもの!?と目にすることもあります。
 私は高一の選択科目で音楽・美術・書道のうち一つを選び、それを三年間学ぶという事がありました。どれにしょうかな、どれもしっくりしないしと思案している間に書道しか空席が無くなりました。仕方無く授業を受けたのが杭迫先生でした (今となれば申し訳ありません)。凄い先生とは知らなかったものですから、適当に授業を受けていたのでしょう。しかも習字ではありませんから丁寧な楷書は書きません。社会人になって上司から碁盤目の入った用紙で文字を練習する手ほどきを受けました。成る程と理解し練習を重ねると、上手い (正しくは見やすい) 字を書けるようになったのです。その何年か後、或る人と会話の成り行きで、高校の書道授業は杭迫という先生だったと話すと、「へえー、凄い先生に習ったんだね」 と言われてやっと気づいた始末です。でもこの歳になると矢張り上手く書けなくなってきました。それはキーボードの所為(せい)にしておきます。
とは言いつつも、自筆で書かれたお手紙をいただき目にすると、その人の心が見えるような気がして、(なつ)かしさと共に有り難いと感じます。
                                                                      

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