《私の本棚 第341》 令和6年7月29日 号 「猟師ほとけを射 事」 宇治拾遺物語 (説話集) より |
書かれたのは1212年 (建暦2年) から12221年 (承久3年) 頃とされています。 芥川龍之介には今昔物語や宇治拾遺物語を現代風に読みやすく書き直した 『羅生門』・『鼻』・『芋粥』・『地獄変』 などの作品があります。この説話はその選からは外れています。 愛宕山の山頂に愛宕神社があります。(※現在は火除けの神様として参拝されています) ここで長年籠もって修行をおこなう徳の高い聖人が居ました。ある一人の猟師はこの聖 を大変尊敬して、よくお参りをしてその都度食べ物を差し入れていました。あるときその聖が言うのには、「一心に修行している賜か、毎晩のように普賢菩薩様が像に乗ってお越し下さる」 と言います。猟師は 「それなら私も今夜泊めて戴いて、拝ませて戴きたい」 と言って泊まる事にしました。聖の身辺雑用をしている童に普賢菩薩の事を尋ねると、「私も五六度お目にかかりました」 と言います。猟師は、それなら自分もお目にすることが出来るだろうと思って、聖の後ろに寝ないで頑張っていました。 やっとの事真夜中に、普賢菩薩が像に乗って坊の前に来られました。聖は大層涙を流しながら拝んで、猟師にも拝むよう勧めます。猟師が 童に 「お前も見えるか」 と聞くと、お経さへあげられないのに見えると答えます。之に納得のいかない猟師は聖の背後から菩薩に矢を射ました。後光はたちまちに消えて谷へ転がる音がきこえました。聖は 「何と言うことをしたのか」 と泣き惑います。しかし夜が明けてから血の跡を辿って谷を探すと、大きな狸が胸に矢を受けて死んでいました。 考えてみれば聖ではあるけれど、ある意味では世事に疎く無智だから狸にばかされた。猟師は聖のような知識は無いが、常識的な考えはしっかりしているから悪狸を射殺 して化けの皮を剥いだのだと。 当時の子供でも、狸に化かされなかった猟師の話として聞いて楽しかったろうと思います。「鰯の頭も信心から」 という諺もありますね。時代は異なりますが、昨今の宗教二世報道を見ると、何かしら令和時代の現実と紐付けできる話しのように感じる部分があります。 |
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