《私の本棚 第307》 令和3年10月3日号
気まぐれに手にとって偶々開いたのがこの作品。とは言え題名に少し気を惹かれたのは事実です。ガラスの靴って何だったかなあ?ペローのシンデレラだったかな?。読む前から題名に気を取られてしまいました。解説を読むと第25回芥川賞候補になっていたようです。シンデレラ姫はガラスの靴を履いてカボチャの馬車に乗って王宮パーティーへ参加しました。夜12時になる前に王宮を出る必要があるのに危うい時刻になります。慌てて駆けだして片方の靴を落としたままにして戻ります。王はさんざん手を尽くしてシンデレラを見つけました。その後シンデレラは姫君になって幸せに暮らします。 しかしこの作品はそんなにハッピーにはなりません。ガラスの靴を履いて現れた悦子と、昼は教室の椅子で眠るために学校へ行き、夜は学費と生活費を稼ぐために夜警のバイトをする僕を描きます。言ってみれば希望も目的も無い僕とそれをからかうような悦子の日常を、皮肉混じりにシンデレラ物語をひねった視点から描いています。 独りで夜警をする僕に、悦子は様々な物事・基本的知識を知らないような振りをして電話で質問してきます。ある意味では可愛いですよね。僕は彼女が長期間の留守を預かる邸宅へ行ってたわいない会話をしたり、まるで悦子の自宅でご馳走をよばれるような雰囲気で日中を過ごします。夜になれば、当初は何となく鬱陶しい感じで受け止めていた電話を、今か今かと待ち遠しい思いで心が休まりません。 ある夜、住所を教えていなかった勤務の銃砲店に現れました。もうこれは間違いなく悦子は自分のシンデレラになったと確信。しかしもう一歩の処で 「いけないわ、そんなこと」 と完全に拒否され、つかみどころの無い悦子は重ねて 「駅まで、送ってくれる?」 とオモチャにされてしまいました。 この物語は生活費や学費を稼ぐのに日々汲々としている僕と、ヒグラシってどんな鳥なの?と聞くような高度なテクニックを駆使して遊ぶ悦子。読者である私は、そんな女性も居るんだろうなと感じた次第です。更に発展させると、普通ではあり得ないような洗脳テクニックで僕をもてあそんだ悦子と、心の空白に入り込まれてしまった僕の物語です。 この作品は1951年発表ですから、当時は男が女を或いは女が男を洗脳するということがよくある事だったかどうか知りません。しかし近年思いもよらない暮らし世界の中でも、男女間の洗脳が在る事は日々のニュースや週刊誌の広告記事からも知り得ます。 もう一点主人公の 「僕」 に対して浮かんできた言葉は 「独り相撲かはたまたピエロ」 です。善かれと思ってすることが相手にとってはどうでもいいことという場合もあります。自分自身への戒めですね。 |
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