《私の本棚 第300》 令和3年4月5日号
題名は知っていても読んだことは無いという人が多いでしょう。古典文でしか読めませんし (現在はそうでも無いのかも知れませんが)、それほどまでして読もうという気持ちには中々なりません。でもまあ、頑張って読みました。(アップするタイミングも個人的な心臓体調理由でいささか間が悪い?笑い)
主人公は世之介。類い希な好色漢で、七歳で恋心が判る様になり、十一歳には遊里で遊び暮らし初めます。生家は富豪ですからお金の心配は無く放蕩三昧です。十九歳の時に勘当されますが、その生活は改まるどころか日本中を旅しながら、あらゆる階層の女性達と関係を続けます。さしずめ好色旅日記といった所でしょうか。三十四歳のとき父親が亡くなり、莫大な遺産を手にしますが、それを元手にして放蕩生活には一層拍車がかかり、一流の娼妓を相手に遊び暮らします。そして六十歳の時に友人七人と
「女護島」 (架空の島で、江戸時代の古地図には記載されているらしい) を目指して全財産を特別仕立ての船に積み込んで出帆し、行方知れずになります。内容的には何がどうというものではありませんが、全国の地名が出てきますし、当時も今も同じ地名が存在している事を改めて実感します。京の地名は比較的身近で、「ああ、当時も今もそう呼ばれているのか」 などと親しみをも感じます。京都の両替町通り(南北)の二条と三条(東西)の間には金座・銀座があったとか、宇治市六地蔵は昔から醍醐と宇治へ行く分かれ道であり小野篁作の六体地蔵が安置されていたとか、伏見区には当時の俗称・泥町 (=正式名称柳町) という橦木町より格下の遊郭があった (地名は伏せますが、小学一二年生頃、この●●の近くにそのような一角が在ると聞いた記憶があります) など、歴史好き地理好きの人にはそちらからの興味も湧くことと思います。因みに京都市の東西南北の通り名称はその成り立ちを知れば面白いと思います。それと今ひとつ、当時の女性が置かれていた立場がよく分かります。遊女と一口に言っても、高級?な者から順に、太夫・天神・囲・寺小姓・大黒・蓮葉女
(「はすっぱ」は今でも言葉として使いませんかね) ・暗女・旅籠女(=飯盛り女?)・夜発(意味不詳、=夜鷹か?) など存在し、しかもこれらは街道の至る所に居たようです。中には元下級武士の息女でありながら、生きるための選択であった者も多かったようです。ある意味で当時は生業として認め受け入れられていた部分もあるような気がします。いずれ又、好色一代女をご紹介したいと思います。 |
京都市伏見区 橦木町柱の遺跡 (忠臣蔵で有名になりました。 大石内蔵助は主君の仇を討つなどという 気持ちは全く無く、遊び呆けて居る者として 人の目を欺いていました。) |
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