《私の本棚 第263》   平成30年3月7日号

   「二つの肉体」   野間 宏 作

 氏の作品は長編である 「真空地帯」 を先ず読み始めました。淡々と軍隊の内情が綴られていて、それはそれとして当時の後方任務の様子が分かるのですが、だから何?というのが感想でした。戦時中であろうが平和の世であろうが、要領よく立ち回る人間は多い。戦争実話を体験者の父親から、少しだけにしろ聞いた記憶の残る私としては、ぬるま湯にしか感じません。小説「野火」に近い話をも聞いた記憶があります。戦争とは多くの人間を殺せば殺すほど褒めてもらえる狂気なのですから。
 取り上げた昭和21年 (1946年、敗戦日=1945年8月15日) 作の二つの肉体という短編は、出会った男女が次第にその距離を縮めていく様子を描いています。かと言って、当然ですが今流行のポルノ小説でもなければ、近時の政治家や芸能人が口にする 「一線は越えていません」 などという子供も笑うような白々しく馬鹿臭い言い訳でもありません。ある意味でどこかに初々しさを漂わせつつ、あと一枚の心の薄着を脱ぎ捨てたいけれどできないというぎこちなくもどかしい心の葛藤を描いています。
 由木修は紳士である自分と男である自分の狭間で揺れ動いている事を自覚しています。一方、光恵も淑女であるべきという自分と男に従うという今後の生き方を予感してもいます。二人とも心の底ではこの人と結ばれたいという思いもあります。時代設定は今から70年余り前、戦中です。日常的にテレビで見るような、軽々しい男女関係はそれほど起こらなかったであろう時代です。
 互いに話しをはぐらかしながらも、その何の関係もなさそうな言葉をてこにして、一枚ずつ二人の間に横たわるベールを剥がそうとします。寒い中、大した目的もなくと言うか、どうして良いか分からない二人はかつて歩いた事のある淀川堤へ向かいます。その混雑する電車内で、自然に二人の体は密着します。互いに感じる相手の肉体。肉体とはいえ、厚い冬服を通しての感触です。全く知らない乗客同士であれば、何と言うことはない電車の揺れに合わせて感じる押したり押されたりの息苦しい感覚状態でしょう。しかしそれでさえも、互いを強く意識するような心の繋がりをもっている二人です。何の変化もない二人はまた梅田に戻ってきました。その時出征兵士を送る人並みを見た修は、紳士と男と兵士の狭間に居ることを再確認します。
 
あんな本こんな本、三川合流地点、木津川、京阪特急電車




 三川 (桂川・宇治川・木津川) 合流地点付近の木津川とサイクリングロード&京阪特急電車。

もう少し下流 (左) へ進むと淀川と名を変えます 

 (2005.01.22撮影)
 
 
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