《私の本棚 第235》 平成28年6月号
存在は以前から知っていました。故河合隼雄氏と作者の対談を読んだのがきっかけでこの作品を手にしました。作者は早稲田の文学部卒業ですが、数学にも一般人としては相応の知識・力を持っており、興味の強い対象であると推測します。 自分は家政婦を生業とする母子家庭で小学生の息子と二人暮らしです。息子の呼び名はは博士が√ (ルート) と付けました。大数学者を目指していた博士は、事故の後遺症で記憶が80分しか持ちません。この三人と博士の義姉が登場人物です。後半に描かれた一つのシーンは、ドラマに例えれば最高に盛り上がる場面でしょう。義姉が私と√を呼びつけます。そこで私達の行動に関して詰問しますが、横にいた博士が、「子供をいじめてはいかん」 と言ってオイラーの等式をメモに記し部屋をでていきました。 eiπ+1=0 私はこの等式の数学的に意味するところは分かりませんが、文学的にこのシーンに重ねて見る事はできるような気がします。Cは博士、iとπは私と√、1は義姉。義姉はこの数式をじっと見つめます。後日義姉の許しで、家政婦として私は復帰し、√も友達として認められます。しかし、博士の後遺症は次第に重くなっていき、遂には交通事故の日以後の記憶は無くなります。目の前にいる人で分かるのは同乗者であった義姉だけになってしまいました。 記憶が80分しか持たない博士と私と√が心の交流を重ねる様子が底流にあり、そこに博士との数学的接点が重なって独特な一編に完成されています。全体的には文学者が描いた数学の世界とも言えます。時間のある人は物理学者寺田寅彦の書いた 「科学と文学」 を読まれると、この作品との対比で面白いと思います。近年の 「理数系は必要 文系は不要」 などというつまらない言葉とは、今少し違う景色・色合いを見せてくれることでしょう。 |
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