《私の本棚 第234》   平成28年5月号

     「塩の道」  宮本 常一 著 

 この本を読みながら著者の 「下北半島」 を思い出していました。何かしら文体がそれと違うという印象を持ちながらです。後書きまできて 「本書はその宮本先生が最晩年に語られたものであり…」 とあり納得しました。写真から受ける穏やかな印象と文体 (語り口調) がごく自然にマッチしています。亡くなられた後その報を聞いた山口県の山村に住む老人が 「ええ世間師じゃったがのう、惜しいことをした、あんな人がいるとみんなが助かるんじゃが」 と悔やんでいたといわれています。この意味は、偉い先生が沢山来て自分の家から資料を持ち帰っては本を出しているが、どうすればこの村が良くなるか暮らしが良くなるか教えられない。しかし宮本先生は違う、村人に夢を託して行く先生だ。ということのようです。
 塩が海岸の集落で作られたというのはごく自然のことですが、著者が全国を歩いて調べたところ、かつて内陸部山村での塩を得る方法が分かりました。塩泉が沸く地域もありますがそうでない所では大変印象的なものでした。冬の間に山で木を切り川の側へ集めておく。春になると雪融けで水量が増すので、自分の木に目印をつけておいて川へ流す。その木を追いながら河口へ行きそこで塩を焼く。できあがった塩を持って内陸部へ帰るというものでした。こういう方法はあちこちであったようです。人口が増えて分業化が進んでくると、塩そのものを商いにする人が出てきます。今のように便利な地図もナビも無い時代に、海岸地域から牛の背に塩を載せて細い道を内陸へ運ぶ人も現れました。牛は馬と違って、歩きながら道ばたの草で腹を満たす事ができ、文字通り道草を食ってくれるので運搬手段としては優れていたようです。塩の道に鯖街道、鰤街道が重なっていきます。塩では無く酒に関しても面白い調査結果が記載されています。関西で作った酒を樽に入れて関東に運ぶ。牛はそこで売り払い、当然樽も残ります。空いた樽は漬け物用に転用され、漬け物業も盛んになります。人々の生活が次第に変貌していくようすが興味深く語られています。 
神岡町遠望、あんな本こんな本






  岐阜県 神岡町
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