《私の本棚 第187》   平成24年9月号

    「信号手」 ディケンズ 作

 ディケンズの傑作短編と言われています。ここに登場する信号手という職業は現在もあるのかどうか分かりません。彼の仕事は、前後のポイントからの情報に基づいて必要があれば自分の信号を赤に変えるというものです。勿論自分も情報を送る任務を負っています。
 「私」 は偶然に崖から深い窪みを見下ろして信号手を見つけます。声を掛けて信号手の小屋へ行き世間話をしますが、彼は非常に何かにおびえています。話をするうちに、彼が赤信号燈のところに幽霊がいて、しきりに自分になにかの合図を送っているのが見えるらしいのです。胸騒ぎがしますが、かと言ってそんな曖昧な情報を送ることができずにいました。日を改めて小屋を訪れた私は、彼が列車に轢かれて死亡した現場に遭遇します。その列車運転手の状況説明は、彼 (信号手) が見たという幽霊の行動とそっくりなので戦慄を覚えたのです。
一種の未来予知能力を題材にして、信号手にそれを体現させたようにも見えますが、読者である私は、作中の 「私」 が実はこの世の人物ではなく、信号手の身に危険が迫っていることを伝えに来た霊界の者という設定ではないかと思えるのですが、どうでしょうか。
 この小説を書くきっかけなった実際の列車事故に遇ったのは1865年6月9日、翌年に書き上げて、1870年6月9日にディケンズは亡くなりました。
 読んでいて懐かしく思い出したことが一つあります。小学生の頃は学校へ行くのに凡そ400b余りを生徒達が思い思いに歩いて行きます。私鉄と国鉄 (JR) の踏切2ヶ所を渡ります。その私鉄踏切の様子を未だによく覚えています。踏切手 (正確な呼称は知りません) は時刻表や白旗・赤旗を持っていて (緑の旗もあったように記憶します) 小屋の中で番をしていました。列車が近づいてくると旗を手にして、大きなハンドルに付いた取っ手を持って上半身を少し上下させながら回して遮断機を上下させていました。列車も今のように高性能ではありませんから、駅を出てから250b程の踏切ではさほどスピードも出ていなかったと思います。
 若い人は知らないでしょうが、当時の列車は車掌が一両ずつ外から手でドアーのロック開閉をしていました。今から思えばゆったりとした懐かしい思い出です。ふとこんな事を思い出すのも読書の楽しみの一つでしょうか。  少し趣の異なる作品もあります。

 参考・私は読んでいませんが、日本の作者でこの短編を下敷きにしてミステリーを書いた人がいます。
 丘美丈二郎 (おかみじょうじろう) 作 「汽車を招く少女」 で、鮎川哲也 (編) 『急行出雲--鉄道ミステリー傑作選』 (光文社・カッパノベルズ、昭和50年) に入っています。
 
水木しげるロード、あんな本こんな本





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