《私の本棚 第319》   令和4年10月10日 号

          大悲千禄本」  黄表紙集より


 前置きになってしまいますが、黄表紙というのは江戸時代に大衆に親しまれた草双紙のうち、ある時期のものを呼ぶ名称と解説されています。一冊を表紙以外に紙数5枚で構成し、一枚ごとに絵を大きく描き余白に説明や人物のことば書きを書き入れることが特徴のようです。さしずめ現代の漫画本にでも当たるでしょうか。この大悲千禄本は天明三・四年頃の、江戸の諸観音開帳による莫大な儲けと世間の不景気とからヒントを得たもので、着想と洒落・こじつけの巧みさから黄表紙中の最高傑作という評価があるそうです。 
 【千手観音という千本の手を持ち各手には一眼を備える仏も、世の中の不景気にはどうしようもない。我がこの手を一本一両で賃貸しようと仰る。これを聞いた面の皮屋千平衛(つらのかわやせんべえ)という(面の皮が厚いどころか皮が千枚もある)山師が、御手を一本一両と勘定して千両の
手切り金(仏の手を切って関係を断ち切ることと、権利を譲り受けて干渉させないに掛けた洒落)を出し、私が損料貸しにしますといってその御手を切り離しにかかります。観音様も最初の三本も切られたらもう痛くも何とも無い。中に悪い(傷んだ)手があっても契約は成立しているよと仰る。山師はこちらのほうは、大かた手こずりましたと洒落で返します。】
 このような場面から物語は始まります。現在の「手こずる」という言葉はこの頃から使われ始めたようで、広辞苑にも…安永頃から始まった流行語…とあり、黄表紙を引き合いにしています。短文ですからあまりご紹介できませんが、登場人物は薩摩守忠度(
源平一ノ谷の合戦で右腕を切り落とされた)、茨木童子(大江山の鬼神で羅生門で片腕を切られた)、人形しばゐの捕手(両手が無い)、手のない女郎(客をあやつる手管をしらない)、等など、手の欲しい人物等が登場します。
 又、手を貸借するときの定め書---(挿絵の中に小さく書かれていましたので、虫眼鏡で拝見しました)---にはちょっと貸し(代三十二文)・一日一夜(銀三匁)・一ケ月(金二両)・一年切(金十両)と決められており、他にはこれは千手観音様の御手ゆえ、此れ此れ然々、特に○○などに使ってはいけないという事が書かれています。絵も中々面白く当時の庶民が笑いながら読んだことが想像できます。蛇足ですが、庶民と言えども識字率は高かったようです。
             車折神社

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