《私の本棚 第311》   令和4年2月3日 号

          「 タタール人の砂漠」 ブッツアーティ 作

 書店の本棚を眺めていると見たことのない書名が二冊。そのうちの一冊がこの作品でした。 主人公は将校に任官したジョバンニ・ドローゴの生涯を描いています。
 町から馬で二日ばかりのところにある砦が勤務地でした。何も無い岩山の峰に築かれた格別重要ではない砦。ドローゴは着任早々、町の勤務に戻りたくて仕方ありません。しかし上級幹部達は、何等外敵の危険も及ばないであろうこの砦勤務がどれほど重要なことかと信じ込んでいる様子です。北の方角にある果てしなく続く砂漠の向こうは外国です。いつ攻め込んでくるかも知れない訳ですから、24時間交代勤務で警備を怠りません。これという楽しみもない砦勤務ではたまにトランプをして遊ぶか近くの村へ出掛けて酒を飲む程度です。次第にこの何も無い空間や水の滴る音が違和感のないものに変化していきます。砦の歩哨勤務に就いた兵は決められた順序と方法を確実に守っています。 ドローゴは4ヶ月で此処を去るつもりでいましたが、いつしか時は4年を過ぎました。2ヶ月の休暇を得て町の実家へ戻ると、兄弟は遠方で一人住まいをしており母は明日から旅行に出掛けるとのこと。4年間顔を合わせていなかった彼女も同様に数ヶ月の海外旅行へ出掛ける予定と分かります。最早自分の居場所はこの町には無いと感じ、懐かしさも消え失せました。休暇を終えて砦に戻ってから更に40年の歳月が流れます。上官に報告すると馬鹿にされていた砂漠の彼方の微かな灯火や道路工事のようなものも見えません。彼自身も老いて病に冒されています。ある朝ベッドに伏せっているドローゴに慌ただしく報告にきた兵が言うには敵が攻めてきたとの事。彼に支えられながら出てみると肉眼で見えるところまで敵兵が迫っていました。自分がこの砦に勤務する唯一の意味合いであった敵を防ぐということは、自身の病によって叶わず、上官の命令によって町へ退去させられます。しかもそれは彼を思いやっての事ではなく、彼が居なければ其の部屋に4人分のベッドが置けるというものでした。ドローゴは大勢の援軍と行き違いに馬車で町へ向かいます。援軍は溌剌として砦へ向かい、彼は自分の人生の意義を無くしつつ町へ向かう途中で寿命をおえました。
最後のところまで読み進めて、現代の経済社会でも偶に有る事だと気づきました。社名は記憶からでてきませんが、人数が先細りする研究室の研究が、あるとき突然社会の変化によってとてつもなく意味あることに変化。既に定年などで退職した者も多い中、殆どの社員達から気に掛けられず寂しく細々と研究を続けていた人に光がさす。志に光がささないまま定年を迎えた人は、悔しいとも虚ろともなんとも言えない年月ですね。往々にして有る事です。その長い年月の中には主人公ドローゴのような人も居たろうと思われます。
 作者は1906年、北イタリアのベネト州ベッルーノ生まれ、1940年作で、砂漠は別として、彼の生まれ故郷の風景を背景にしているようです。難解な作品ではありませんが、人生には確かにこのような事は在り得ると共感できます。

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 東尋坊





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