《私の本棚 第285》   令和元年8月8日号

    「高 樓」 若菜集より  島崎藤村 作  〜 北上夜曲へ  

 この作品に強く惹かれたいきさつを先ず述べる必要がありそうです。私は車のオーディオ機器に、気が向いた時にいつでも聴けるようにお気に入りの楽曲を録音してあります。凡そ70数枚のCDから400曲程が入っています。今風の若い人に人気の曲は無理ですが、幅広いジャンルです。今回も図書館で何か無いかと探していたときに、ちあきなおみのCDが目に入り借りました。これを聴いていて 「惜別の唄」 に心が惹きつけられました。このような時には常の行動としてリピートで聴くのですが、ふと、五木ひろし (だったと思います) の初恋という歌が数十年の時を経て浮かんで来ました。その作詞者は藤村であると言うことは知っていた上に、惜別の唄の曲に重ねて歌うことができる事にも気づきました。ここからが少し大変でした。何しろ私は研究者ではありませんし、年齢的に (そうしておきましょう) 頭もあまり回転しません。
 取り敢えず中央公論社の 「日本の文学」 全集から藤村の巻を引っ張り出して探し読みをしました。初恋の原作は4連あったのですが、昭和11年の藤村文庫に収めるに際して、本人が第3連を削除していたことを改めて知りました。その詩をご紹介すると次のとおりで、第1連から第4連が最初の初恋詩で第3連はその後本人が削除。しかし、私が目にした楽曲CD(後述)としては第1連から第3連を歌詞としています。(五木ひろしの歌は1連2連4連だったように思うのですが)
 
  第1連
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


第2連
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


第3連
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき

たのしき恋の盃を
君が情けに酌みしかな


第4連
林檎畑の樹の下に
おのづかなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと
問たまふこそこひしけれ
 
 このように書くと、この歌謡曲を知っている方も、そういえば何となく・・・と気づかれるでしょう。それは一旦置いて惜別の唄を探しますが書籍に収録されていません。やむなくあらためて図書館へ出向き、若菜集が掲載されている藤村全集 (筑摩書房発行) を借り出しました。惜別の唄という詩は無かったのですが、調べた結果 「高樓」 という一遍が原題であることが判りました。しかしこの書籍でも解説には、嫁ぎゆく姉との別れを偲ぶ姉妹の互いの心を読んだ詩とのみ書かれています。それでも私の藤村自身の赤裸々な恋唄であるとの確信は揺らぎませんでした。以下順次説明をさせて下さい。
 ちあきなおみの惜別の唄を繰り返し聴きながら、生き別れか死別かは判然としないけれど、男が去りゆく女性を歌ったものと感じていました。「たかどの」 は生家 (馬篭) 近くの千曲川を見下ろす事のできる場所を想像したり、「たびのころも」 は白い死装束では無いかと想像したり。いや、女性が自分を捨てて嫁いで行くような生き別れなら、旅の衣はもっと違ったものかも知れないと思い巡らしていました。
  中央公論社の「日本の文学」全集の年譜には次のように紹介されています。
明治14年10歳  長兄と上京し泰明学校に通学  (私の蛇足ですが、今年、制服でニュースになりました)
明治25年21歳  明治女学院高等科英文科の教師着任。
明治26年22歳  教え子を愛したことから退職。
明治27年23歳  再び明治女学院の教師となる。 約10ヶ月間、関西漂白の旅に出る。
明治28年8月24歳  教職を辞す。
同年9月25日  郷里馬篭の旧宅大火大半消失。
明治29年2月5日25歳  明治女学校炎上。
同年9月  東北学院の作文教師として仙台へ赴任。この頃、田山花袋・柳田国男らと知り合いになる。
明治30年7月26歳  東北学院を辞して帰京。
同年8月29日  第一詩集「若菜集」を春陽堂から刊行。
同年9月  東京音楽学校ピアノ科の助教授橘糸重を知ったことから、学生として入校。(私の感想:つまりは恋心多き男性だったので
       しょうか?)
  何かしら少しずつイメージが膨らんできます。
 亀井勝一郎氏が雑誌社からの依頼で昭和14年に藤村宅を訪問しています。氏でさへも 「実に窮屈だった。ああいう窮屈な人がよく『藤村詩集』のような柔らかい詩を作ったものだと思う」 と述べていました。
 また文芸評論家の山室静氏は藤村全集 (筑摩書房発行 )の付録月報で、こんな言葉 (抜粋) を残しています。
--- 苦しい恋と愛人の死、生活苦、先輩透谷の死、「文学界」の友との疎遠、兄の入獄、故郷の家の焼失など、殆ど八方ふさがりの状態にあえいでいた。明治29年秋全てを捨て去るようにして仙台へ赴任したことから、流麗甘美な詩が溢れるようにして流れ出てきことは奇跡といった方が早い気がする。---
 若菜集の 「序のうた」 には葡萄という言葉が読み込まれています。これは 「初恋」 にでてくる 「林檎」 と通ずるものを感じます。序のうた、それ自体が藤村の燃え上がる情熱を抑えて抑えて、如何にも作り事であるかのような表現にしたものと感じます。おそらく作家というものが非常に低く見られていた時代にあって、更に金銭的・精神的に追い詰められているような状況のなかから、新しい 「詩」 の世界を切り開こうとする作者の心であると感じます。藤村は序文で次のように書いています。
--- 明治二十九年の秋より三十年の春へかけてこゝろみし根無草の色も香もなきをとりあつめて若菜集とはいふなり、このふみの世にいづべき日は青葉のかげ深きころになりぬとも、そは自然のうへにこそあれ、吾歌はまだ萌出しまゝの若菜なるをや。--- 
 詩編 「草枕」 は作者が心機一転歩みだそうとする気持ちを表現していますし、後の高樓を連想するような箇所もあります。
 明治31年の夏草に 「晩春の別離」 がありますが、この中にも高樓を連想させる箇所があります。その後の千曲川旅情の歌も藤村の心の底に流れる思いを描き続けています。そうして読んでいくとあの有名な 「椰子の実」 もその秘めた想いを強く感じます。藤村の作品は全て、中高校生の頃に読みとったものとは全く違うものです。
 話しをCDに戻しましょう。「惜別の唄」 は男性の女性に対する強い恋情を、文学という芸術にまで高めようという意図をもって書かれたと確信しました。元の詩 「高樓」 は八連からなる作品です。@妹→A姉→B妹→C姉→D妹→E姉→F妹→G姉という贈答歌の形をとっています。惜別の唄は@→A→Dの三連で成立しています。高樓に曲を付けて題名を惜別の唄とすることには何ら問題は無いのでしょう。そこで、折角ですからここに全文を掲載させてもらいたいと思います。
 
                   高 樓

        わかれゆくひとををしむとこよひより とほきゆめちにわれやまとはん
 
         
とほきわかれに   たへかねて
このたかどのに   のぼるかな

かなしむなかれ   わがあねよ   (CDでは「わがともよ」)      
たびのころもを    とゝのへよ

       
わかれといへば   むかしより
このひとのよの    つねなるを

ながるゝみづを    ながむれば
ゆめはづかしき   なみだかな


       
したへるひとの    もとにゆく
きみのうへこそ    たのしけれ

ふゆやまこえて   きみゆかば
なにをひかりの   わがみぞや

       
あゝはなとりの    いろにつけ
ねにつけわれを   おもへかし

けふわかれては   いつかまた
あひみるまでの   いのちかも

       
きみがさやけき   めのいろも

きみくれなゐの   くちびるも

きみがみどりの   くろかみも
またいつかみん   このわかれ

       
なれがやさしき   なぐさめも
なれがたのしき   うたごゑも

なれがこゝろの   ことのねも
またいつかきかん  このわかれ

       
きみのゆくべき   やまかはは
おつるなみだに   みえわかず

そでのしぐれの   ふゆのひに
きみにおくらん    はなもがな


       
そでにおほへる   うるはしき
ながかほばせを   あげよかし

ながくれなゐの   かほばせに

ながるゝなみだ   われはぬぐはん
 
 後日談になりますが、CDを返却した日に舟木一夫若き日の、「初恋」 とラベル付けされたCDを借りました。ここには初恋と惜別の唄が収録されていました。・・・やはりちあきなおみは上手い!・・・。伝わってくる情感が別次元です。ごめんなさい。しかしその中に 「北上夜曲」 が含まれていました。胸にこみ上げるものを感じます。解説によるとこの歌は昭和33年 (私10歳) 頃から作詞作曲者不詳として青年男女が集う歌声喫茶で流行っていたようです。昭和36年に多くの歌手が歌い脚光を浴びるようになったのですが、それより遡ること凡そ20年、岩手師範学校生の菊池規氏が初恋の思い出を作詞。知り合いの青森八戸中学の安藤睦夫氏が作曲したものであることが後年判明したという経緯があります。

  何故、この歌が私にこみ上げる感情をもたらしたのか、少しお話させて下さい。

今年2019年5月5日朝、宮城県 石巻市立大川小学校の被災跡地を訪れました。二度目です。2016年5月5日初めて訪問の後、三度に分けて四国遍路を行い、今回はためらいながら学校跡地に立ちました。その折、此処で震災伝承者として活動しておられる 紫桃隆洋 様にお目にかかり、亡き娘・千聖 (ちさと) さんのお話をお聞きしました。そのあと、74名の子ども達が避難できたはずの、校舎を見下ろす事のできる高台に立ちました。北上川もすぐそこです。惜別の唄とこの曲が私の心の中で渦巻いて混ざり合い、込み上げるような哀しみを感じさせました。多くを語ることはできません。その景色と歌が重なります。歌詞をご紹介します。機会があれば、皆様も現地を訪れてお線香を手向けてあげて下さい。
 
         北上夜曲

匂い優しい 白百合の
 
濡れているよな あの瞳
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 月の夜


雪のチラチラ 降る宵に
君は楽しい 天国へ
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 雪の夜


僕は生きるぞ 生きるんだ
君の面影 胸に秘め
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の 初恋よ
                          祈り

あんな本こんな本、高樓、惜別の唄、北上夜曲、初恋、北上川


 盛岡市内 

 岩手山と北上川(上流域)



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