《私の本棚 第284》 令和元年 6月23日号
昭和3年、作者26歳の作。獄中死した小林多喜二とともにプロレタリア文学を代表する作家です。一方この私は、子供(高校生時代)の頃から政治の話しに首を突っ込むことが嫌いな人間でした。社会人となって友人と話して居ても、同級生が現れて何かしら政治的な話題になるとその場を離れていました。「お前は政治の話しになると帰って仕舞うなあ」
と言われていたものです。古稀を迎えてからは多少生活時間や気持ちの流れが緩やかになって、二十歳前からの自分との約束を実行するかのように、書棚から未読のものを取り出して読むようになりました。この作者の作品も若い頃は読む気がしなかったであろうと想像します。 この作品は3.15事件 (共産党大検挙) を題材として描かれた短編です。作者は60歳近くになって 「出直したい。出直すとすれば”春先の風”から」 と述懐していました。その言わんとするものを解することは私にはできませんが、この作品はそういう位置にあるもののようです。 何の嫌疑か私には分かりませんが・・・恐らく夫の嫌疑に絡んで妻だからということでしょう・・・、凍てつくような時期に乳飲み子を抱えた母親と父親は逮捕されます。子供が病を発症しますが看守はとりあいません。子供の葬儀 (らしきもの) を執り行った後、仲間うちで追悼会をしてくれますが、又、逮捕されます。 印象的だったのは終わりの部分です。取り調べの高等 (当時の官位) が母親の名前を聞きます。そして、”ふく”と答えると 「何だその名前は、だから監獄へぶち込まれるんだ、それでよく人の女房がつとまるな」 と罵ります。穏やかに当然の口答えをすると思い切りの平手打ちをうけました。「わたしらは侮辱の中に生きています」 と言います。 悪法もまた法なりという言葉を思い出します。しかし、様々な問題に真っ向から立ち向かって発言した人達が居て、その後の敗戦を経て今日の平和な暮らしがあることを忘れないようにする必要があります。 |
喜多方 しだれ桜散歩道 |
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