《私の本棚 第262》   平成30年2月14日号

   「荒野の村」   シュティフター 作

 1805年チェコの南ボヘミヤ (オーストリアに近い地方でしょうか?) で生まれました。プレッケンシュタインという湖の近くということで、色々と調べましたが湖の多い地方の為特定できませんでした。この小説に書かれているような穏やかな地方だったようです。1868年1月没。

 1840年作のこの作品は、これまで読み感じていた小説とは少し趣が異なります。数ページに亘り … で、なに? … 展開は? … 登場人物は? … と疑問が湧いてきます。淡々と風景全体を捉え細部にも目を向ける描写が続きます。題名は 「荒野」 ですが、冒頭に断り書きがあるように、案内される土地は荒野ではありません。私がそこへ訪れる機会があれば、大地に寝そべって天空と雲を見上げ心を無にしてみたい。風を感じ風の声を聴き鳥の鳴き声からその心に触れてみたい。木々の囁きと草花の放つ香りを感じてみたい。この老いた体と心を精一杯のばし、少年の頃のようなこだわりのない呼吸と何でも自分のエネルギーにするような力、陰りのない笑いをしてみたい。人の声が聞こえず周りに人家もなく、それでいて命の輝きが感じられるようなゆったりとした時の流れを満喫してみたい。------この小説の風景ほどの豊かさではありませんでしたが、近年では2015年5月2日に少しだけ似たような時間がありました。------
 登場する人達は、皆、善意に満ちています。信仰心が厚く他人の幸せを素直に受け入れています。恐らくこの小説の様な生活を人々は営んでいたのでしょう。主人公とまでも言えませんが、フェリックスは作者を投影したものでしょう。このような自然豊かな地に生まれ、早くに父と死に別れていますが、優しい祖父母と母の影響を受けて育ちます。祖父はこの少年に十分な教育を受ける機会を与えました。内気な作者は都会で様々な能力の開花を見ますが、その性格ゆえ上手な世渡りができなかったようです。家庭教師として時の宰相メッテルニッヒの家で働いたことは有名なようです。
 小説では故郷に戻って何年か後、村人の為に尽力しますが挫折。しかしそれを信仰心から乗り越えていく処で終わっています。風景も人の心も本当に美しい物語です。都会では淋しさを味わったが、故郷の自然---例えそれが厳しいものでも---には癒やされるというのは、三木清が述べる「孤独について」のような東洋的感覚を感じます。

2011年3月発行の岩波文庫で読んだのですが、読み始めて直ぐに、カバーカットの絵が随分マッチすることに気づきました。それもそのはずで、作者は画家でもありました。 
大源太湖畔、あんな本こんな本





 大源太湖畔の風景

(どんな風景でも
撮っておくものですね)


 
    
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