《私の本棚 第214》   平成26年12月号

     「ひとりぼっちな人なんて本当は存在しない」
             一ノ瀬 正樹 著

 小学生向けに書かれた短文です。でも私は一般の社会人=大人にも充分訴えかける文章だと思います。「ひとりぼっち」という捉え方自体が、実は誰かに (親や身近な人) に教わったことなんだよと教えています。
 ひとりぼっちでお昼ご飯を食べるのは、友達がいないと思われそうで、いやだ。それくらいなら、かくれて食べた方がましかもしれない。友情という言葉もある。友だちっていうのは、生きている時間を一緒にいてくれる自分以外の誰かのことかな?。でも、ひとりぼっち、世界の中でたった一人で存在していることなんてありえないでしょ。一緒にいるというのは、なにも目の前にいることとは限らない。手紙や写真を通じて一緒にいることもできる。誰だって親から生まれて来たのだし、誰かが作ったものを食べ、誰かから学んだことに頼って生きている。お椀を見ればそれを作った人々がその後ろにいる。感じ取る気持ちの問題だ。
 そんな言葉を通してこども達に訴えかけています。平成26年7月16日付けの京都新聞に京都産大の永田和宏先生が、こんな表題で文章を書かれています。「大学生が群れてばかりでどうする・孤独を知ることが自立ということ・干渉されずに自分を確認する場だ」 と。
 大学の学食には 「ぼっち席」 があるそうです。友達がいない人間は駄目人間というメッセージらしい。そもそも友達と一緒にいることがあるべき姿であるという観念は小学校で醸成されるらしい。ならば小学生はどこからそれを学習するのか。恐らく学校でも家庭でも 「良い友達を作りましょうね」 というメッセージに晒され続けているのではないか。友達がいない子はくすんでいて、イジメの対象になる。アリストテレスは 「友達がたくさんいるということは、友達がぜんぜんいないことである」と言ったらしい。もしも自分の体裁を守るだけの仲間であるなら、哲人の言葉を否定するのは難しかろう、と、孤独を恐れてはならない、と結んでおられます。
 最近SNS とかLINEとかが小学生にも普及 (拡がっているの方が当てはまるかも) しているという。私は携帯 (スマホではない) さえも嫌いで、その番号は家族以外は知らない。LINEは彼等のいう処の友達に頻繁に発信し続けて、読んだのに返信をしないとイジメの対象になるという。人は皆それぞれの生活をしている。返信をしなかった、できなかったというだけでイジメルならそれは友達ではない。そう言って教える親はいないのか?。歩きながら、ベビーカーを押しながら携帯をいじくる青年男女やお父さんお母さん。もっと自分を大切にしようよ。子供を大切にしようよ。私の声が届かないのは十二分に承知している。しかしそれでももどかしい。
 
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