《私の本棚 第156》   平成22年2月号

    「恩讐の彼方に」    菊地 寛 作 

 大正八年、中央公論に発表した作品。大正十二年には文藝春秋を創刊し、毎号の巻頭は芥川龍之介が寄稿していたそうです。 

「青の洞門」 といえば知っている人も多いはずです。子供の頃に読んだ本は、こちらが題名になっていたと思います。話の筋は、若い頃に主人の妾と恋仲になり、諫められた時に弾みで主人を斬り殺してしまう。その妾と落ち延びて茶店を開く傍ら、山賊家業を続け、人を殺めることも多数。そんな生活に嫌気がさして、独り流浪の旅に出る。たどり着いた鎖渡しの難所で、三十年をかけて洞門を切り開いた。父の敵を追い求めてきた実之助もその姿に打たれて一緒に掘ったというもの。

 いろいろな読み方ができる作品だと思います。子供に読ませるなら、過去の犯罪はさらっと扱い、贖罪のためにたった一人で岩に穴を開ける。その思いの強さは次第に周囲を共感させ、遂には親の敵と追い続けた実之助をも変心させる感動物語。

 また違った見方をすれば、何の罪も落ち度も無い善良な人間を多数殺めた者が、旅人の事故死を防ぐという目的であったとしても、洞門を開くという行為で一切が許されるものか?。許された上に 「生き仏様」 という称号まで贈られて良いものか?。此処で洞門掘削ということをしていなければ、どこで何をもって命を永らえていたのか?実之助は敵を討って、お家再興をしなくて良かったのか?。追い剥ぎに殺された善良な旅人の無念は晴れたのか?。三十年かけて1763年に完成した当時は、ニュースが完全に行き渡らない時代であった。そう考えると、禅海和尚は三世をこの世で生きたとも言えないか?。主人を殺した時代、追い剥ぎをした時代、洞門を掘った時代。原因と結果と修行。

 菊池寛の手を離れた瞬間に、作品は読者のものになる。私が読めば私のものになる。自由にあれこれと思いを脹らませていけば、読書ほど楽しいものはない。
 
綾部梅林、あんな本こんな本




 兵庫県

 綾部梅林

 
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