4月30日(木)スタート 66歳(もうすぐ67歳) |
股関節の違和感と昨日の架線事故延着から抜け出せない。それで今日の気分はさしずめ背景色くらいかな?。ホテルから少し反対方向に走ってベイブリッジへ向かう。学校へ向かう高校生の自転車も懸命にペダルを回しています。こちらは競争するつもりは無いんですが車体が軽い。男子学生からすれば 「何だ?あの爺さん!」 になるんでしょうね。青森湾を右に 「奥内」 の看板を探しながら走ります。 |
特に変わった景色は無く普通の生活感があります。 津軽宮田付近で幼稚園に行く男の子を連れたお父さんに尋ねると、次の駅ですと教えてもらいました。駅近くの踏切を渡り国道へでます。 立派な道を金木方面へ進むと直ぐに山道になりました。この登り坂を走らなければならないのかと思いながらペダリング。 |
峠付近の雑地に水芭蕉を見つけました。やはりこうして残雪の中に咲く水芭蕉を見ると、東北を旅しているという実感が湧いてきます。 |
峠で振り返ると4q上り勾配10%だったことが分かりました。フー疲れた!序の口、気合いを入れよう。金木では桜が迎えてくれるかな。下り坂になり、暫く走ると下の方からクラクションが大きく何度も鳴らされているのが響いてきます。今回は仏ヶ浦に自転車を担いで下りる予定なので、念のため熊よけの鈴を付けてきました。このまま進むは地獄、登り坂を引き返そうなんてもっと地獄。ひょっとして此処で役立つのかな?少し不安混じりに下って行くと車が見えます。気配を感じて目線を上にすると5〜6匹のサルが枝を揺すって威嚇をしていました。これは多分猿が悪いのではなくドライバーの方がちょっかいを出したのでしょう。しかし、本当に熊だったら私はどうなっていたんでしょうかね。でもこの猿たちは下北と一緒に「北限のサル」と言って良いんでしょうね。 |
市街地に入り津鉄金木駅に到着。ずいぶん自宅と離れた駅ですが見るのは何度目でしょう。 斜陽館も何度か見学しているし、このまま中里駅に向かう。三脚と大きなカメラを担いだ人が何人かいました。 |
津鉄芦野公園駅 2014.4.30撮影 |
今年はもう散ってしまっていました。駐車場整理の人も申し訳無さそうにしています。 花が無いのでは仕方が無い。先を急ぐことにする。中里ならまだ残っているかもと淡い期待を持ってペダルを回す。しかし同じようにガッカリして駅を後にしました。この先は走った事の無い田んぼの中の直線道路を進みます。信号も無くほぼ平坦で気持ちがいい。大きなトラクターが自分の速度と比べて微妙な違いで走行中。後ろを走っていると中央線に寄って左を空けてくれました。会釈をしながらすり抜けます。家の間を過ぎると左に湖です。あれ?予定では左には見えないのに・・・。考えて見ると先程の交差点を左折しなかったので間違えたようです。まあいいか。道の駅十三湖へは登りになるので避けたかったが、戻るのも面倒なのでそのまま進む。懐かしい塔 (滑り台) の有る道の駅に到着。11:20 |
ほぼ予定どおりの到着です。以前シジミ汁を食べたときの薄味の記憶が残っているので今日はカツ丼を注文しました。 |
さて、ここからはこの旅イチ押しメインイベント、あの憧れの竜泊ラインに向かいます。しかし、それにしても何だか妙に息苦しい。道の駅こどまりでは予定を無視して時間を取り過ぎた |
左写真は 「夕日ビーチ折腰内」 という道の駅脇の看板で撮影、七ツ滝まで4q、龍飛まで20qです。 |
七ツ滝の撮影時刻は13:50。13:30頃には龍飛に到着している予定なのに、その遅れも気にしていなかったようです。 |
しかし、走行中に感じる違和感がだんだんひどくなってきます。何なんでしょうね。左右の股関節が痛み出すし、無意識のうちにどのように庇おうとしているのか肩が痛んでくる。その痛みから、痛い方の肩を心持ち下げるような傾いた姿勢になってきます。おかしい?どうも普通ではない。当然速度も出ません。竜泊ラインを登り切れるかな?でも、あの勾配と景色に誘われて再び来たんだからと言いきかせる。心はこの背景色よりも次第にブルーに近付いて来る。 せめて文字色だけでも少し明るくします。いいでしょう!この景色 ↓ |
息も絶え絶えにやっとの思いで眺瞰台まで2キロメートルの地点まで来ました。 |
この写真を撮っている間も名前を知らない羽虫が顔の周りを飛び交います。動画も撮りましたが、そこには羽音や飛び回る姿が映っていますし、私の荒々しい呼吸とメッセージが記録されています。はるか右奥手の山頂に眺瞰台が見えますが、「もう再び来ることはできないと思う」などと絶え絶えにコメントをしていました。もうすぐ67歳。やはり歳には勝てないのかなあ。悔しいですね。折角この坂道用に軽い運動靴まで用意してきたのに。運動靴は十二分に生かされています。頻繁に足を地面に着ける必要があるので、クリートでない分だけ膝に負担がかかりません。しかしそれ以前にこうも胸が苦しくてはどうしようもない。またここに来ることができたという喜びよりも何よりも 「凄く苦し〜い! 一寸異常?」 15:30眺瞰台に到着。しかし、さらに上の展望台へ上がる気力は残っていません。 |
眺瞰台から津軽海峡遠望 まだ一度も北海道を見たことがありません 悔しいけれどこのサイトで鑑賞して下さい |
上のホイールと龍飛崎の写真は、何の説明もいらないお気に入りです。 年賀状や読書感想にも使いました。 先を急がないと旅館の到着が遅くなります。少し登れば後は一気に下りです。道の駅みんまやには寄らずに、今日は灯台横のレストランに行ってみようと向かいます。しかしそこに人の気配はなく断念。帯島の食堂に行くことにしました。が、しかし、そこも責任者が不在で諦めかけたのですが、何もできませんがと言いつつワンコインで食事をよばれました。お腹が空いていたということもありますが、とにかく 「しんどい(疲労困憊の関西弁)」。 何故にこうもしんどいのか自分でも分からない。取り敢えず腹を満たして出発。旅館までは約50qあります。元気ならほぼ2時間で到着出来ますが、今日は・・・・・・ね。三厩、今別を過ぎて高野崎 (大泊の少し先) へ向かいます。登り坂でフロントギヤーをインナーにチェンジした途端に空転。もう転倒するしかない場面です。幸い車も通っておらず、無傷で事なきを得ました。自宅を出発する前からチェンジの調子が悪く、2度調整してもらったのですがしっくりしていませんでした。この原因は帰ってから分かったのですが、殆ど道路を走らずにローラー台で運動していたことが影響していました。道路を走っても大して違わないのですが、一年以上、フロントもリヤーも変速機を操作したことがありません。それで支点部分の動きがスムーズではなくなっており調製が上手くできなかったようです。皆さんも気を付けられた方が良いですね。高野崎の袰月海岸はきれいな景色なのですが、曇り空の上夕刻になっていますから立ち寄る気にはならずにスルー。ライトを点けて道の駅たいらだてに到着したのは17:30か18:00頃だったと思います。 走行時速が20qを切っている状況と余りの息苦しさから蟹田の中村旅館に電話を入れました。残り16qほどですから普段なら何のことはない距離ですが、きょうは違う。電話をすると娘さんが出てくれました。余りに息も絶え絶えの様子からでしょう、すぐ女将さんに代わられましたが 「そこからなら10分か15分位で来られますから、大丈夫ですよ」 という返事。事情を説明して2時間近くかかるかも知れないと伝えて遅れることを了解してもらいました。到着は19:30で当初予定より遅れは1時間20分程度でしたが、気持ちの上ではとてもそんなものではありませんでした。 到着すると「大丈夫でしたか?」と優しいお心づかい。ひょっとしたら私の足元も覚束なかったかもしれません。お風呂に先に入ってから食事を戴きましたが、珍しい「とげくり蟹」がのっていました。もう少し早く着いていれば温かくてもっと美味しかっただろうになあと思いながら料理を残さずいただきました。でも、当時は女将さんや娘さんに心配をおかけして申し訳なかったと思っています。食後、明後日宿泊予定の 「豊楽」 へ電話をして明日も宿泊可能か尋ねました。何の問題もないという返事をいただいたので、明日泊まる予定の薬研温泉に電話を入れてキャンセルのお願いをしました。きょう走った感覚では、明日、脇ノ沢から仏ヶ浦、大間を経由して薬研温泉へ行く自信がなくなっていました。フェリーの予約もあり明日の行程は、脇ノ沢へ到着後下北半島を陸奥湾沿いにR338を大湊へ向かい野辺地の豊楽さんへという予定に変更しました。何qあるのか分かりませんし、アップダウンもどの程度かも分かりませんが最初の予定より楽なことには間違いないでしょう。(後日調べたところ、大湊まで約40qそこから豊楽までは約60qでした。) 本日の走行を蟹田で終わらずに青森市まで戻っていれば、大雑把ですが琵琶湖一周か淡路島一周と同じ距離になります。僅かそのくらいなんですよね。一晩眠ると昨日の苦しさは消えており、何となく気持ちも晴れやかです。しかしきのうは苦しかったなあ。自分なりの猛烈な走り込みをした時とも少し違う、そんな妙な苦しさでした。 帰宅後16日の土曜日に片道凡そ16qの運動をしました。その時自己診断がついたのですが加齢ではなく心臓の検査を受けた方が良さそうです。それほど頑張って走ったわけでない往路の休憩時に同じ様な苦しさと息づかいを経験しました。暫く収まらず、復路も苦しさが止まりませんでした。今度同じ様な症状が出ているときに診察を受けようと思います。 (結局は内科医の心電図検査では原因不明のまま) 足は鍛えられますが心臓は駄目ですね。 ※あちこちのリンクを確認していてこのサイトに気づきましたが、この苦しい思い出は2015年4月30日ですが6年後の2021年4月1日に狭心症でステント挿入手術を受けました。散歩をしようとして余りの息苦しさと個人病院の休診が重なり総合病院へ行ったのが幸いしました。緊急手術 (ステント挿入) 準備の折り 「今日は何月何日か分かりますか?」 と質問されて 「エイプリルフール」 と返事したことを覚えています。正にそれがピッタリに感じる日でした。 |
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