《私の本棚 第315》 令和4年4月12日 号
「蟹の恩返し」 今昔物語より
岩波書店 日本古典文学大系
一般的には標題のように蟹の恩返しとされていますが、今昔物語集では巻第十六に「山城國女人、依観音助遁蛇難語」 (ヤマシロノクニノニョニン カンノンノタスケニヨリテ
クチナワノナンヲノガレタルコト) として書かれています。 物語の場所は、現在の京都府木津川市山城町綺田 (かばた) に在る 「蟹満寺」 です。綺田という地名も古く言い伝えが残ります。蟹がぞろぞろ歩くというような表現をみると、一瞬ズワイガニを思い浮かべてウン?となりますが、近くの木津川に生息する川蟹と思われます。結構大きな蟹が採れるようです。 さて、物語はこの山城国、久世の郡に住んでいた娘は、七歳の頃から観音経をあげており、十二歳の時には法華経も習い終えていました。こんな小さな頃から父親に似て慈悲心の深い少女でした。あるとき外で遊んでいると蟹をつかまえて藁で結んで食べるために持ち帰る人を見かけます。カニを可哀相に思った娘は自分の家に魚があるからそれと交換して欲しいと頼みます。カニは逃がしてやりました。一方父親は、田仕事をしている時に蛙を追う毒蛇を目の当たりにします。父親は優しいのは良いとして、あろう事か、娘の婿にするから蛙を逃してやってくれと頼みました。当然ですが家に戻っても食べ物が喉を通りません。娘に問われて、斯く斯くしかじかと話すと、私の言うとおりにすれば大丈夫となだめられました (それでも親なんですかね??)。その夜、五位の服装をした男が戸を叩きましたが、三日後にもう一度来て欲しいと言って追い返します。約束どおり三日後に男がくると、娘は観音経をあげながら倉代 (臨時に建てた倉) に立て籠もっています。騙されたと知った男は、蛇の本性を現して倉代に巻き付いて壊そうとします。夜中になると蛇の荒々しい物音が消えたので戸を開けてみると、千万の蟹が集まって蛇の体を切り刻んでいました。蛇はもちろんですが多くの蟹も命を落としました。後に、蛇の苦を救うと共に多くの蟹の罪を助ける為に此の地に埋葬した後、その上に寺を建てたということです。 (やはりこの話しの流れが仏教の教えに繋がっているのですね) いきさつを知らない世間の人は、この寺 (蟹満寺) を紙幡寺 (かみはたでら) と呼んでいたといいます。 この蟹満寺から南南東2.7キロの所に聖徳太子創建といわれる神童寺という寺があります。同じく南2.7キロには椿井大塚山古墳があり、ここからは三角縁神獣鏡が32面出土しています。この近くには山背古道と称される道がありますし、井手の玉川という古くから知られた景観も残されています。 このように書いている私も、蟹の恩返しの舞台となった蟹満寺がそこに在る事を知ったのは古いことではありません。かつて、平家物語を書いたときに地図も掲載しましたが、奈良と木津は木津川で分断されており、蟹満寺を含む山城の国は宇治川でも分断されています。日本最古の道として奈良県に 「山辺の道」 がありますが、当時の人達にとっては重要な交通の要衝だったのでしょうか。 この物語は以前から書こうと思っていたのですが、今昔物語の何処に書かれているのかはっきりせずにおりました。偶々4月7日に神童寺へ行ってみようということになり、先に蟹満寺へ行きました。駐車場は桜が満開でしかも近くの小学校が入学式でもあり、多くの親子連れを拝見させてもらいましたので、頑張って蟹の恩返しが何処に書かれているのかもう一度探す事に致しました。その結果は冒頭にご紹介したとおりです。ネットで検索すると 「蟹の恩返し」 は此処だけで無く全国に存在するようです。それはそれで調べれば何かしら面白い繋がりがあるのかも知れませんね。 |
![]() 木津川、東の堤防桜並木 |
![]() 蟹満寺 蟹の供養塔 |
![]() 神童寺の石造り十三重の塔 (国の重要文化財) |
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